2011.12.1(木) |
ウイルス
□師走の一日目。あまりの寒さにぼう然とした。いつ雪が降り出したっておかしくない。そのうえどうやら風邪をひいてしまったらしい。目覚めとともにおとずれた軽い関節の痛み、頭痛、のどはガラガラ、目は半分ぐらいしか開けられない。あーだるい。
□かといって、今病院の待ち合い室で小一時間待たされるぐらいなら、少し気を張ってしゃきっとコーヒーでも飲みに行くほうが精神には良さそうである。
□体の中に確実にウイルスは入り込んでいるに違いないのだが、「私は風邪だ。風邪だから何もできないのだ」という現実逃避の言葉が頭の中をグルグル駆け回っていることも確かである。
□あーだるい。そんな時、扉が開いて「具合はどう? ホラ、あったかいスープができたよ。少しでいいから飲んで」と優しく微笑むダンナが…、という絶対にあり得ない妄想を見た私は、「フフッ」と無気味に笑った。
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2011.12.10(土) |
マイナス50℃
□10℃前後の毎日。真冬の足音がヒタヒタと忍び寄る。日照時間もグッと縮まった。それで熱いコーヒーをすすり、ボーッとしたいという願望がさらに強まる。というより、気づくとボーッとしている。これではまたすぐダメ人間になってしまうではないか。
□ところで、南極の基地で生活する隊員の人たちは、外はマイナス50℃であっても、室内ではほぼ半袖半ズボンで1年中過ごしているそうだ。毎日調査や研究に励み、時にはみんなで野球などのスポーツで汗を流し、笑い合う。シェフが作ってくれるおいしい食事をとり、規則正しい生活を送る。ナントスバラシイ生活だろう。またある時はオーロラを目の当たりにし、地平線を転がるように移動する太陽で季節を知り、宇宙の中に生かされている自分を感じる。ご苦労も多いだろうが、スバラシイ体験だと思う。
□隊員の方々は幼い頃、大人になったら自分がまさか南極で生活することになるとは思っていなかったんじゃなかろうか。そう思うと、俗世間にひたって生活している私も、人生って不思議だな、と思うのであった。
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2011.12.26(月) |
メリークリスマス
「メリークリスマス!」
□先週末は何回もこの言葉を発した。すねて、ひねくれて、クリスマスに背を向けていた時代を経て、また幼い子どもの頃のように素直にこの言葉を言えるようになってきた。
□英語の「Good Morning」に代表される「Good ○○」という挨拶。「良い○○を」という簡単なフレーズでさえ、どこか恥ずかしくて、気取っていやがる、と思っていた。私はホントにせこいやつだね。でも今はちがう。「良いお年を…」と自然に言えるようになってきた。心の底からじわっとこの気持ちが湧き出てくるから、取って付け感がなくなってきた。
□良く眠れるといいネ、良い1日になるといいネ、良い1年になるといいネ。いつも自分のことで精一杯のセコイアタシがほんのつかの間、他人様のシアワセを願うナンテ、私だってイイトコあるじゃんと思えて心があったかくなってしまうのであった。
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2011.12.30(金) |
ハングリー
□ここ数日、およばれ、パーティ、忘年会の類いで上等なお肉に遭遇する機会が何度かあった。アリガタヤ…。
□幼い頃、お寿司といえば、お客様が帰った後の残りもの、というイメージが拭いきれない私は、その反動から「将来はお寿司屋さんになりたい」と小学3年生の頃作文に書いたほどだった。こういうのをハングリー精神というのだろうか。
□先日の忘年会でも、ご家族連れ、幼い子どもたちが数名いたのだが、お肉を見た途端「肉だー!!」と大声で叫んだ4才の男の子がいた。私はすごく嬉しかった。何を出されても無反応、ありがたみもへったくれもない。そんな子どもは健全じゃない。
□どんなに世の中進んでも、「肉だー!!」と叫ぶ子どもがいてほしい。私はさすがに大声は出さないけれど、「肉だ! 寿司だ! 天プラだ!」と心の中ではいまだに叫んでいるくちである。
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2011.11.12(土) |
悪い習慣、ワルクナイ
□きのうの寒さは身にしみた。でも今朝は穏やかでとても気持ち良い。なのに朝の目覚めがすこぶる悪い。理由は簡単、夜ふかしが続いているからである。何故夜ふかしかと言えば、アホみたいにテレビを見ているからである。
□録画モノはその日のうちに、をモットーとしている私は、11月に入ったある夜、2〜3日分たまってしまった分を処理するぞ! と頑張ってしまったのだ。しかもチョイとつまめるものまで準備万端整えて…。悪い習慣が身につくのはあっという間。あの日から、チョイとつまめるものも増量中。
□悪い習慣…。わかっていてもやめられない。ひとつこのへんで体にイイことをしてあげなくては。早く寝て、体にいいものを食べなくては。う〜む。
□でもこの感じ、ちょっぴり懐かしく、ワルクナイ。
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2011.11.17(木) |
冬支度
□秋はそろそろ終わりだろうか。
□商店街の電柱に、クリスマス仕様の飾り付けが始まった。クリスマス…、その一週間後は大晦日。そうか、そろそろ冬に突入していたのか。この先「つるべ落とし」のごとく加速がついて、2011年も幕を閉じてしまうのだろう。冬のコートも準備して、加湿器の埃もきれいに払って、ラインナップしなければ。
□冬ってやつはどうも心細い。寒くて底冷えすると、心も体もどんどん縮こまり、固まっていく。挙げ句の果てに人への優しさ、思いやりもかなり低レベルとなり、ダメ人間になっていく。卑屈になる、被害妄想になる。
□……と、これくらい今から心の準備をしておいた方がいいだろう。私は寒さに弱いのだから。
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2011.11.21(月) |
紅葉
□去年あたりから「大トロ」より「赤身」の方が好きかも、と思うようになった。同様に、桜もいいけど紅葉もね。
□テレビに映る箱根の紅葉は目にしみる。まだまだ秋は終わっていなかった。明後日の勤労感謝の祝日にヒョイと河口湖あたりまで足をのばし、富士山を眺め、紅葉に心踊らせ、そして日帰り温泉にでもつかってこれたらどんなに素敵なことだろう。
□テレビで見るかぎり、あたりをそぞろ歩く人々も、どこか素直で謙虚で好感が持てる。少なくとも、あのお花見シーズンの場所取り、酒盛り、馬鹿騒ぎ…といったウンザリするような風景は見なくてよさそうだ。
□残り少ない秋。1日1日と赤や黄色に染まっていく葉っぱたち。なんだかとっても愛おしい。
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2011.11.23(水) |
前髪数cm
□穏やかな祝日。紅葉を見に行くほどの余裕はないが、今日は前髪を切りに行く、と決めている。
□子どもの頃から「小奇麗にしろ、小ざっぱりしろ」と親からよく言われてきた。私は自分ではフツーにしているつもりでも、なんとなくだらしがない、サッパリ感のオーラが足りないようだ。その上ヨレヨレのTシャツやらデロンとしたトレーナーなど着ていたら尚更のこと。時々、ハッとして眼鏡を光に透かしてみたら、これまた油やらヒフや目のカスのようなものが付いていて、あわてて磨いたりしている。
□でも私は決して不潔な人間ではないし、どちらかと言えば、部屋の掃除もせっせと頑張っている。もっと言えば、掃除は嫌いではない。ゴミ屋敷とか、片付けられない人などとは対極にいる。
□部屋はとってもきれい。それなのに肝心の自分自身がなんとなく薄汚れたオーラを発していまっている、という浮かばれない星の元に生まれてしまったようだ。
□仕方がない。前髪数cmで少しでもよくなれるなら…と健気にがんばっているのだ。
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2011.11.30(水) |
明日は師走の
□明日から師走だというのに、ポカポカ陽気に浮かれる心。掃除洗濯も楽しいし、なんて心地よい1日の始まりだろう。まったくもってありがたい。
□ぐっすり眠れた、ごはんがおいしい、ヒザも腰も痛くない。こんな日は多少の心配事や不安も「なんとかなるサ」と言ってのける自分がいる。
「私って○○なタイプだから」と言う人がいるが、私は自分の性格がほとんどわからない。ただ長年の付き合いで「さぼり魔」「小心者」ぐらいはわかっている。たいがい、だからアタシはダメなんだ、とつぶやいているが、今日はちがう。
「さぼったっていいじゃない、人間だもの」
□今日はチマチマした愚痴や反省や後悔もなし! 明日は師走の風が吹く。
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2011.10.5(水) |
ヤバイヤバイ
□秋日和も一変、今朝は冷たい雨が降る。
□今日は11月の陽気とのこと、室内は只今17℃。「いいよネ?」とつぶやき暖房のスイッチオン。ホットコーヒーをすすりながらしみじみしているとあっという間に時間が過ぎていく。ヤバイヤバイ、これから一層雨が強まると言ってたから、さっさとおつかいに行くとしよう。
□外はたしかに寒い…なべ、スープ、シチュー、どれもいいナ。気分はすっかり冬。ちょっと寒くて雨で午前中。スーパーはいつもよりずっと静かでガランとしていた。
□ガラにもなくゆったりとした気分で野菜たちを眺めた。いつも「余計なものは買いません」と念じながら、なるべく視野をせばめてはや歩きで駆け抜けていたけれど。色とりどり、形も様々な野菜たち。こうして見ると実にユニークでチャーミングだ。しばし見とれてしまった。へたをすると「イイ色してるねェ」と声に出して話しかけてしまいそうだ。
□ヤバイヤバイ、またもやあっという間に時間が過ぎていく。さっさと家に帰って洗濯。「室内干し」である。
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2011.10.12(水) |
新米
□先日いただいた“新米”を炊く。
□今日のお昼はサンマと漬け物、みそ汁だ。なんて幸せな気分だろう。
□今年は「腹八分」をなんとか守り続けてきたけれど、今日は特別。ごはんおかわりで二杯目はごま塩だけでパクパク、ペロリと食べてしまった。
□私自身の記憶によれば、子どもの頃これほど旬の食べ物でテンションが上がったことはない。一年中「カレーだ、からあげだ、ハンバーグだ」で喜んでいたように思う。
□年をとれば「老眼だ、シラガだ、ヒザ痛だ」と悩みの種も増えるけれど、それと引き換えにちがった楽しみ喜びもあるのだなァ…。
□ふっくらもっちり炊きあがった新米に心踊る午前11:50であった。
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2011.10.25(火) |
'Tis Autumn
□今頃になって夏日が訪れた。南風が吹いて、今日は半袖で充分いける。アイスだっていける。ちょっと動けば「暑い」と言いたくなる。そんな日だ。
□こんなに気温がコロコロ変化すると、気分もコロコロ変わっていく。つまり食べたいものも変わっていく。昨夜までポン酢で湯豆腐だったのが、一夜明ければにんにくをガツンときかせた何かスタミナ的なものが食べたい、となる。
□しかしテレビが言うには「夜には北風が吹くでしょう」とのこと。
□秋はけっこう気まぐれ屋さんである。振り回されてばかりいるけれど、一日一日、同じ日などないんだ、という真実を身をもって感じることができる。
□夜の北風をイメージし、湯豆腐に決めておつかいをし、たとえ見事に裏切られてもそれはそれ。なかなかオツなもんです。
□だって秋なんだもの。
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2011.9.8(木) |
xとyが交わるポイント
□大型台風12号が去って再び残暑が戻ってくる。
□ゆだんしていると、この時期また熱中症になるらしい。「もうこれで安心」はないんだナ。
□でも、ゆっくりゆっくり秋になってほしい。夏への未練が少しずつおさまっていき、同時進行で日一日と深まっていく秋の訪れに高鳴る想い。このクロスオーバーが大好きだ。その変化を関数のグラフのように表したときの、夏の曲線と秋の曲線が交わる1点。それは今日だろうか、明日だろうかと思いめぐらす。
□私はこういうグラフをイメージするくせがある。
□例えばある時は「x=時間、y=お金」。
□お金が多少なりともある時は、遊ぶ時間などないほど仕事を頑張らねばならない状態で、遊べる時間がある時はお金がない…。2点が交わるポイントを上手にみつけられるほど出来た人間ではないので、結局いつもないものねだりをしてしまうのである。
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2011.9.12(月) |
午前中の与太郎
□今朝も良い天気。とにかく洗濯物を干し終えると小さな達成感。これは洗濯物がたまってしまうことに対する「怯え」の裏返しのようだ。
□次に、今晩のおかず何にしよう? 目ぼしがついていないとこれまた不安。夕方のスーパーは混んでいるから早めに行って済ませたい。それで午前中からソワソワモヤモヤが始まる。
□世の中には、テレビが茶の間に登場して以来続く料理番組もあれば、一生かかってもとうてい読み切れないほどの料理本が出回っているというのに、なぜ今晩のメニューが決められないのだろう。育ち盛りの子どもが5人いる大家族というわけではない。ダンナと自分の二人前をチャチャッと作るだけなのに。
□せっかちなのに要領を得ない不器用。この空回りは私を限りなく落ち着きのない与太郎にさせる。なにやらブツブツ言っているけれど、何を言っているのかわからない。話がいっこうに前に進まない。でも、憎めないなかなかいいやつなのですよ。
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2011.9.13(火) |
サロンパスの香り
□二、三日前から左足の人指し指がすごく痛い。
□どうしてこうなったのか、全く思い当たるふしがない。赤く腫れ上がり、この指だけ太くなっている。角度によってはちょっとの力がかかっただけで「ワァ!!」と叫びたくなるほど痛む。この指をかばってしまうためか、歩き方もおかしくなってきた。と、そんなわけですべての行動がスローモーションになり、喋り方までのんびり屋風になっている。
□だが心は不安で一杯だ。もし骨折していたら…。不安が不安を呼び心細くなったので、気休めにサロンパスを買って補強することにした。
□サロンパスの香り。久々のこの香り。私は好きだ。適当な大きさにはさみで切り、ペロンとあのラップ状のものをはがしたら、問題の指に巻き付ける。たったこれだけのことでなんだかひと安心だ。
□サロンパス、龍角散、お線香。これはおばあちゃんの部屋のにおいだ。だから安心したのかもしれない。ありがとう、サロンパス。そしてありがとう、おばあちゃん。もうすぐお彼岸。ちゃんとお墓参りに行くからね。
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2011.9.15(木) |
「旧」敬老の日
□本日も晴天なり! 気温湿度ともに人が生活するのにちょうどいい日和である。
□今日9月15日は「旧」敬老の日。いつのまにかハッピーマンデーとかいうグループに入ってしまい、今年の敬老の日は19日だそうだ。
□同様に10月10日の体育の日も、この日晴れる確率が最も高いことから東京オリンピックの開幕日となったと大人から幾度となく説明をうけたのも、どこか昔話のようになってしまった(※今年はたまたま、ちょうど10月10日が体育の日です)。
□とはいえ、おおかたの祝祭日はそのままで、春分・秋分に代表される、昔ながらの休みにホッとする。とりあえず休ませていただくにあたって、こんな理由で今日は祝祭日なのだよ、と言われると、ありがたく、そして胸をはって休んでいいのだと思えるからである。
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2011.9.26(月) |
デロンの季節
□昨夜から鳥肌が立つほどの冷たい風が吹いている。今朝も同様にひんやりとした空気。いつ雨が降り出すのかとどんよりとした空を見上げる。
□それにしても今年の気温差は尋常ではない。一昨日までの初秋の気配にうっとりしていた気分は一気に吹き飛ばされてしまった。
□いつまでもヨレヨレの半袖Tシャツでウロウロしているわけにもいかず、長袖のTシャツを引っぱり出す。
□…しかし私は長袖が苦手である。結局、家の中では水を使うことも多く、思いきり腕まくりをする。洗い物の最中に袖がずり落ちてくるのが嫌で、とにかく思いきりたくし上げる。その結果、私の長袖Tシャツは、ほとんどが袖口が伸びてデロンとしている。
□夏はヨレヨレ、冬はデロン。今年もデロンの季節がやってきた。季節の移り変わりを実感するのはちょうどこんな日だ。
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2011.8.29(月) |
更新と改心
□朝夕はすっかり涼しくなり。まるで軽井沢の別荘にいるのか(※イメージです)というほど爽やかな風が吹く。ああ、今年の夏も去ってゆく。たくさんだらけたけれど、いっぱい汗もかいた。熱中症におびえこまめに水分をとり、また汗をかき…。途切れることのない洗濯物の山に、またグッタリ…。
□さて、お隣の立派な新築マンションでは、秋から新生活をスタートさせる人たちの内覧会が始まった。思えば、私とダンナが引っ越しを考えはじめたのも、ちょうど2年前の今頃であった。
□来月ははやくも“更新”である。「更に新しい」と書くけれど、今さら新しい気分になるのはなかなか難しい。部屋の隅、家具のうしろには、知らず知らず積もりはじめたチリやほこり…。ムムム、最近の手抜き掃除に心が痛む。
□更新料は心の戒め料なのかもしれない。この更新料で、外食ができる、○○が買える、遊びにいける、いろんなことができる…とぼやいていた私は改心しなくてはいけないのだ。
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2011.8.31(水) |
リアルタイムお天気情報
□台風12号の進路を気にしながら洗濯を始める。
□午前9時現在、雨は降っていない。とにかくベランダに干してみよう。いつ、どこが豪雨になるのか。時間もエリアも限られている最近の傾向に、空を見上げる回数がぐっと増えてきた。「どうも雲行きがあやしい」なんて言葉を日常使うようになった。雲の下で暮らす私たちは、お天気ひとつで右往左往する運命だ。
□そういえば、子どもの頃私が住んでいた団地では、雨が降り始めると「奥さん雨よー!」と、洗濯物をとりこみながら叫んでくれるおばさんが一人か二人、必ずいた。「あら大変」とばかりに慌ててとりこむ奥さんたち。これほどリアルタイムで確実な情報はない。しかも無料。
□今の私は、テレビのお天気情報と空と、交互ににらめっこしている毎日である。
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2011.8.10(水) |
ビッグチャンス、その後
□すっかり真夏に戻った。朝6:00にはすでに28℃…ツライ。でもこれでいいんだ。セミも思いっきり鳴けるだろう。
□さて、先日のヨレヨレ赤Tシャツを着て、また地道に洗濯・掃除・おつかいだ。
□あの日の「ビッグチャンス」(※2011.8.3 参照)、とうとう私はキャッチできずに終わってしまった。ダンナには「やぎ座の抽選にもれたのだろう」と言われた。たしかに日本中のやぎ座にビッグチャンスが訪れていたらちょっとした事件である。結局、私にチャンスを見極める力がなかったのかもしれない。
□本当なら大事故にあって大怪我をしている運命だったのに、何事もなく済んだとしたら…。そう考えたら、文句を言っちゃいけない。とてもありがたいことなんだ。そう考えた方が、いつまでも愚痴っぽいより、ステキな自分でいられるのだろう。
□パァーッと派手に楽しいこともあれば、地味だけどジワッと楽しいこともある。あまりムキになって熱中症になるよりは、なんとかこの夏を無事に乗り切ろう。今はそれで充分だ。
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2011.8.11(木) |
優しく見守ってね
□暦の上では、とか、額面上は、という前置きは、現実とのギャップを表現している。
「今日も36℃を上回る猛暑日です」。続けてお天気キャスターはこう言った。「地面に近いところはさらに暑いので、お子さんやペットなどに、大人は気をつけてあげて下さい」。
□…ナルホド。一般的にお年寄りや子どものように抵抗力の弱い者は暑さに注意、というのはわかっていたけれど、地面に近いものほど大変だという認識はなかった。私は年齢的には立派な大人(※公平に見て「お年寄り」でもない)だが、身長は地面に近いお子さんやペットの側だ。私よりもさらに小さい人は、私より暑い苦しい思いをしているのだ。たしかに、いつも見かけるご近所のワンちゃんたちも一様にグッタリとし、前足にあごをのせて力ないまなざしだ。
□みんながそれぞれ自分より小さい人に思いやりをもってやさしく見守ってあげたら、それだけで世の中のギスギス感が少しはやわらぐのかもしれない。しかしそうなると、背の高い若者というのは誰が見守ってあげるのだろう? わりをくってしまうじゃないか。でも、いつもいつも見守る側にまわっている“できた人”のことは、きっと神様が見守ってくれている、と思うことにした。
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2011.8.12(金) |
センジョウを甘く見るな!
□先日、洗濯機の「洗浄」をした。
□説明書の指示に従い、塩素系漂白剤を投入し、スイッチオン! すると見慣れぬ「710」という数字が表示された。
「?」
□もう一度説明書を読み返したけれど710に関しては何も書かれていない。午前10時の出来事である。
□2時間ほどして、もう終わったカナ、と見にいくと、710が587になっている。ムムム。アホな私はようやくここで理解した。「710」とは710分、つまり「あと11時間と50分」のことだったのだ。考えてみれば、洗濯機を買い替えて初めての「洗浄」である。いつも“おまかせコース”ばかり使っていて、他の機能には触れたこともなかった。しかし、710分ならば、終了するのは夜の10時ではないか。この夏場に洗濯できないなんて、ダメージは大きい。
□私は「洗浄」を甘く見ていた。たった今も、汗まみれの洗濯物が順番待ちをしている状態。「まだァ? もう、むさ苦しくてやってらんないよ。はやくして!」とカゴの中でひしめきあっている。あぁ、ごめんなさい。
□洗浄は夜に仕掛けること! 私は心のノートに強く記した。
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2011.8.3(水) |
ビッグチャンス到来
□8月に入ってもまだ夏は尻込みしている。そろそろ高気圧に本気を出してもらわないと…。
□ところで今日の占い、やぎ座はめでたく1位であった。幸先の良さに小さくガッツポーズ。そしてお馴染み、キーワードに耳を傾けると、「今日は今までにないほどのビッグチャンスの到来!」。……今までにないほどのビッグチャンス? 私はもう一度ゆっくり声に出して言ってみた。これはいったいどういうことなのか。何がどうしてどうなってビッグチャンスにつながるというのか。いや、そもそも私にとって「ビッグチャンス」って何なの?! 朝もはよから私の血流は一気に上昇した。ムムム…。
□やぎ座の人は一見、堅実で地味である。そして「私なんか…」と言いながら、実は内面で結構強い自己顕示欲を持っている。だから、他人事ならばこんなフレーズを鼻で笑って、「アホらしい」と言えるのだが、いざ自分にスポットが当てられ「やぎ座のあなただけに与えられたチャンスなのですよ」と言われると、途端に平常心を失ってしまう。
□そうよね、私だってそれなりに苦労もしてきた。この辺でビッグチャンスが到来したってなんにもワルイことはない、むしろ当然なのかも……。というほど揺らいでしまう。
□今日一日、自分の身の上に何が起きるのか? さらにラッキーカラーである赤、その指示に従い、ヨレヨレの赤いTシャツを引っぱり出して着替えたりもした。正座をして軽く目を閉じ、深呼吸もした。あとはもう今日の運命に身を委ねるしかないのだ。
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2011.7.8(金) |
もやしの前で立ちすくむより
□毎朝、テレビの占いを見る。私は山羊座。順位も大切だが、その日のキーワード、「今日は冷静に」「大胆に」「思いやりをもって」…、が特に気になる。というのは、このキーワードが、その日に出くわす困難から私を救ってくれるからだ。
□たとえば、おつかいに行く。もやしはたいてい1袋29円だ。そのつもりで行くと、たまたまその日は32円ではないか!「なんで!?」と私は混乱してしまう。そんな時、キーワードが「冷静に」であれば、辺りを見回し、もやしへの未練はサッと断ち切る。「大胆に」であれば、「32円、OK!」と即座に受け入れる、といった具合。
□もやしの前で立ちすくんでいるより、きっといいに違いない。キーワードは毎日変わるから、その日を生きているという気になれてうれしいものだ。ただ、困ったことが2つある。
□ひとつは「今日はステキな異性との出会いがあるでしょう」というファンタジー的な予言めいた日。今の私の日常では活用しづらい。
□もうひとつは、夕方になってから、おつかいやら何やらと社会と関わる日。困難と出くわしても、夕方にはキーワードをすっかり忘れてしまっていることが多いのである。
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2011.7.14(木) |
うたた寝
□最近とにかく眠い。寝不足でもなく、特に忙しいわけでもなく、いたって普通に暮らしているのになぜだろう…。昔より眠りに対しての欲求が強くなっているのだろうか。強い日射しを浴びているからだろうか。理由はわからない。
□ともかく、うたた寝とはすごく気持ち良いものだ。寝入っていく瞬間が絶妙にナチュラルだからだと思う。自分でも気づかぬほど、いつの間にか寝ている。
□子どもの頃ならば、プールに行ってさんざんはしゃいだ後、家に帰って座ぶとんの上でドップリ昼寝。フッと目を覚まし夢うつつの中、台所からはカレーの香り。「やったァ、今夜はカレーだ!」と心の中で大喜び。今思えば極楽のような生活ではないか。
□今、夕方までうたた寝をして目を覚ましたところで、何の香りも漂ってはこない。家事は後手後手にまわり、眠る前に落ち込むのがオチである。
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2011.7.22(金) |
言葉をなくす
□目が覚めるとナント秋だった。台風6号は去ったものの気温は一気に下がり、すがすがしい風が吹いている。
□さてどうしよう…。暑いのだからダラケます、という訳にもいかない空気感に、私は地道に掃除洗濯を始めた。
□こんなに素直に行動している自分にはもうひとつワケがある。
□それは昨夜読んだ本の影響だ。内容は大雑把に言うと「言葉をなくして、行動しよう」というもの。私のように「ひと休みしたらあれとこれをやって…」と頭の中でブツブツ言うわりにはなかなか行動に移せない人間には、心にしみる本であった。
□とにかく「スッ」と行動に移す、というのがミソ。じゃあそろそろやりますか、とか、よしやるゾ、といった力んだ言葉もこの際慎んでスッとやる。
□とにかくやってみようと(この言葉も余計なのだが)、なるべく頭の中から言葉を消して、スッと洗濯機へ歩み寄る…。すると不思議な感じがした。それこそ言葉がないので「ナニモノデモナイ自分」と対面することになる。この感じ…、なんでしょう?
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2011.6.29(水) |
それぞれのヨレヨレ
□最近は暑さのせいで、ラクなヨレヨレのTシャツのままおつかいに行ってしまうことが多い、と気づいた。
「ヨレヨレ」は、お気に入りであるがゆえにしょっちゅう着てしまう。だからこそヨレヨレになってしまう。また「ヨレヨレ」とは言っても、見るからにみすぼらしいものもあれば、適度にいい味わいを出しているものもある、と自分では思っている。
□問題なのはその見極めだ。日常のことだけに、ヨレヨレに対する客観性が自分になくなってしまっているのだ。
□久しぶりに会った知人がずいぶん太ったとか老けてしまったとか、そんなことで驚かされるのにどこか似ていて、本人は少しずつ変化しているから、うすうす感じてはいても、まあいいか、こんなものだろうとだんだん鈍感になっているのだろう。ヨレヨレも自分では洗濯してあってきれいだし、と思っていても、他人様から見れば実に可哀相ないでたちなのかもしれない。ただの他人様はなんとも思わないかもしれないが、週に4〜5日は顔をあわせる(と言っても会話はしないが)スーパーのレジの人や商店街の人たちにはどう見られているのだろうか。
□あらためて「ヨレヨレ」を眺めてみる。う〜ん、どっちだろう? セーフかアウトか?!
□私の「ヨレヨレ」に基準はない…。
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2011.6.30(木) |
覚えましょう
□まるまったくつ下、ズボンのポケットに入ったままのハンカチ、片そでだけ裏返しのシャツ…。作詞しているわけではない。愚痴である。洗濯前のひと手間が無性に面倒くさいぜ! と感じることがある。
「くつ下はちゃんとのばしておいてね」と軽くダンナに言うくらいでは、それこそ軽く受け流されてしまう。ちゃんと伝えて、忘れず実行してもらいたいけれど、そもそも本人に覚えようという強い動機や野望があるわけではないのだから厄介だ。
□どうしたら本人が心から「よーし、くつ下はのばすゾ、ポケットのハンカチは必ずチェックするんだ!」と思ってくれるだろうか。
「犬のしつけ」などみていると、指示したことがきちんとできた時、かなりオーバーにほめてやったり、その度にちょいとおやつをあげたりしているから、あんな具合にやったらいいのカナ?
□習慣になってしまえばなんてことないことだけど…。
□外国語の面倒くさい動詞の活用は覚えられるのだから、なんとか覚えてくれないものか…。
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2011.7.4(日) |
夏の過ごし方
「梅雨はすでにあけている」「いや、あけてない」何人かとこんな会話をした。空には夏の雲。毎日「猛暑日」ばかりが続いている。とにかく暑いことは確かだ。
「節電だし、家のエアコンは消して喫茶店にでも行くか」とイソイソと本など抱え、アイスコーヒーを飲みに出かける。熱中症になるから、はりきり過ぎるのもどうかと思う…と、ダラケ生活も「暑すぎる」のキーワードによってずいぶん板についてしまった。少々うしろめたいが、本音を言えば、だから夏が大好きだ。うちわ片手にチョイとうたたね。「だって暑いんだもん」と言いながら、あくせくせずノーテンキに暮らす。素晴らしい。
□冷やし中華、ざるそば、そうめん、アイス、かき氷、クリーム白玉あんみつ。ズルズルとせわしない音をたてて、あっと言う間に食事を流し込み、冷たく甘いものに舌つづみ。想像しただけで幸せだ。
□どんなにダラケても、食べること、眠ることへの欲望だけは一人前。夏はダラケたいのだ。だから夏が好き!
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2011.6.21(火) |
新旧交代
□今日は特に湿度が高い。空はどんより、部屋はジメジメ、肌はベタベタ。スッキリしない。防虫、防カビ、除湿、除菌といった文字についつい目がいく毎日である。
□そろそろ台所の食器洗いのスポンジを取り替えなければ。スポンジが新旧交代する時は少々心が痛む。フカフカで色も鮮やかに初々しいオーラを放っていた新人スポンジが、最後には油で黒ずみヘナヘナになり、見るも無惨な姿に。身を削って働いていただいたが「ポイ」するしかないのだから、思わず「ご苦労様でした」とつぶやいてしまう。
□同様にパンツも靴下もTシャツも、最後にはゴムが伸び、色褪せて布もほつれ、「私、もう疲れた…」と言っているようである。洗剤や調味料と違って、形あるものの最後はなんだか切ない。
□年を重ねるごとに切なさが増してゆく。最近はスポンジにむかって「めでたく引退だね」と言って自分の気持ちを紛らわしている。
□ああ、なんだか湿っぽい話だ。こんな時こそカラッといこう。カラッと。
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2011.6.23(木) |
夏至
□今日は夏至。昼間の時間が最も長い日、と憶えている。そして今日は今年一番の暑さ、真夏日だ。「外での激しい運動は控え、水分補給はこまめに」と朝のテレビが呼び掛ける。
□「熱中症」。もうお馴染みの言葉だが、いまだに「脱水症」「熱射病」とのちがいもわからない。わからないけど気をつけよう。
□子どもの頃、夏になると「帽子をかぶらないと日射病になる。帽子をかぶりなさい」と親にしつこく言われ「うるせェな」と思った。面倒くさいし蒸れて暑い。だから帽子は嫌い、と強く思った。親が見ていなければ帽子はかぶらない。でも本当は危険な状態なのかもと、心のどこかで後ろめたさを感じることもあった。
□もう大人だし、誰も何も言わないけれど「熱中症」は子どもも大人もいつなってしまうかわからないから、やっぱり気をつけよう。
□まだまだ今日ははじまったばかり。今日は昼間が1年で最も長い日なのだ。
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2011.6.24(金) |
お隣に起きた一連の出来事
□今日も猛暑日。汗だくで目が覚めた。
□午前9時をまわった頃から何やら外が騒がしい。でも原因はわかっている。すぐ横に14階建てのマンションが作られていて、その工事の音なのだ。
□思い返せば1年半前、私はこの8階建ての小振りなマンションに引っ越してきた。その頃、隣にあったのは2階建ての地味で控えめな、古びた作りの銀行だった。ところが1週間も経たぬうちにその銀行は閉鎖。やがて囲いができ、マンション建設の看板が取り付けられた。解体、地ならし、その音や振動は結構なものだったが仕方ない。ちょうどこのタイミングでここに住むことになってしまった私の運命なのだ。
□去年の春先、地ならしを終えたお隣は、地面のコンクリートも剥がされ、全面的に「土」にかえったことがある。そこに野良であろう仔猫が2匹、ふかふかの土の上でじゃれあっていた。今だけしか見られない、その光景。私はじっとネコたちを見つめていた。
□そして、今日のさわがしさ。非常階段に出てみると、なんとすぐ横で足場をはずす作業をしている。今まで見えそうで見えない遮光カーテンのようなものにくるまれていたのに。踊り場からさらに身を乗り出して上を見上げると、そこにはもう立派なマンションがそびえていた。そしてすぐ目の前では、おじさんたちが声を掛け合って手際よく鉄パイプや鉄板をはずしている。
□しかし、20〜30人のおじさんたちがよってたかって仕事をすると、こんな短い期間に14階建ての立派なマンションができてしまうなんて…。ちなみにそこは分譲マンションで、すでに完売だそうだ。秋には続々と入居者がやってくる。
□偶然ながら私はお隣の土地に起きたこの一連の出来事をすべて見てきた。しかも毎日。今までただの空間だったところに、たくさんの人が暮らしはじめる。少々不思議な気分である。
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2011.6.11(土) |
ムラがあるからいい
□紫外線の季節。まぶしい日射し。こんな日はやはり日焼け止めクリームを顔に塗ってから外へ出るべきだろう。ずぼらな私も多少は気にしている。「しっかり塗って、きちんと洗顔」とよく聞くけれど、私は「テキトーに塗っていい加減に洗い流す」。
□学生の頃、リンスの代わりに酢でいいのでは、と思いつき、試してみたことがある。ろくに理科の勉強もできないくせに、「シャンプーでアルカリ性に傾いた髪を酢で酸性に中和すればいいのだ」と、酢とお湯を洗面器いっぱいに注ぎ込んだ。お風呂場に充満する強烈な酢のニオイ。それに目にしみた。母親にも「アンタ、何やってんの」としかられてしまった。でも楽しかった。
□このように“屁のつっかえ棒”にもならないことを時々やってしまう。料理もレシピなどみない。何かの記憶や思いつきだけを頼りに作る。だから意味不明なおかずが出来上がってしまうことも多い。私はワクワクして作った代償として苦もなく受け入れられるけれど、ダンナはイイ迷惑かな? 意味不明の日ばかりが続くとさすがに落ち込むのだが、ある時、1人の女性がこんなことを言った。
「家庭の味はムラがあるからいいのよ」
□失敗したり、うまくいったり、家族に文句を言われたり、ほんのたまにポツリとほめてもらったり、ホームドラマの食事シーンを思わせる。楽し気に話す彼女の姿は、私に元気をくれた。
□よし、日焼け止めを塗って、商店街におつかいに行こう!
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2011.6.14(火) |
モヤモヤ、グズグズ…からの爽快
□昨日の夕方、髪を切った。バッサリ切った。
□今朝はなんてすがすがしい朝だろう。
□今日からは掃除洗濯の時、いちいち髪を束ねたり、ピンでとめたりすることもない。枝毛を気にするあのポーズをすることもない。シャンプーとリンスはちょっとの量で済むし、ドライヤーをかける時間も大幅短縮。いいことずくめではないか。
□何より、どんより疲れた自分の顔が、ほんの少し、明るく元気に見える。自分にも、世間様にもよいことだ。
□こんなことならもっとはやく切ればよかった。いやまてよ、ここまでグズグズと引っぱってしまったからこその爽快感かもしれない。
□「毛根君」も、「あれ? 今日はいつもの半分の力で支えてるヨ」と囁きあっていることだろう。重さが半分になって初めて、今までの大変さを知るのである。
「何が一番良いことなのか、正解なのか」。
□そんなこと誰にもわからない。わかっていれば苦労はしない。ある程度時間がたった時、ほんのりと答えがわかることもある。依然としてわからないことは山ほどある。それでも、モヤモヤしながら生きてゆく。時にはこんなさわやかな朝が来るのだから。
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2011.5.28(土) |
こっちの列
□私は行列が大嫌い。行列してまで何かを見たり食べたり買ったりする気は毛頭ない。だが、そうも言ってられない時がある。だから行列組に入ってしまった時は、心にゆとりを持ち、イライラせずにきちんと並ぼうと心がけている。
□うちの近所にコンビニが2件ある。どちらの店もレジは2つ。そしてどちらも1列で待ち、レジの人が「2番目にお待ちの方どうぞ」と言ったらそちらに行く、というスタイルだ。概ねこれで平和にすすんでいるのだが、時折、後から来たくせに「こっちのレジ空いてるじゃん」と勝手にスタイルをぶち壊す輩がいる。レジの方も「あちらにお並びください」と言ってくれる人と言わない人がいる。昨日がそうだった。
□レジ1には8人も人が並び(私は5番目)、ジリジリとしたオーラが漂っていた。レジ2は当然1人。そこにヒョイと1人の男性が並び、つられるようにまた1人、そこに並んでしまった。
「あッ!!」レジの人も何も言わない。私は頭にカーッと血がのぼった。これでいいのか!? 何もなかったようにことは進んでいる。「ユルセナイ…」私は静かに目を閉じると、深く、腹の底から息をはいた。そして…。
「オイ、そこのバカ男、そお、あんた。こっちをよ〜く見てごらん。長い列があるよね。ここにいる人たちはなにも好きで行列してるんじゃねェんだよ。もちろん私もね。だけどここにはここのスタイルってものがあるから、耐えて我慢して、こうして並んでるんだ。本来ならマナーで済むところを、あんたみたいな輩がいるからルールがあるんだ。アンタがどれほどエライ方なのかは存じませんけど、そんなに自由にふるまっちゃあいけませんよ、わかる? ここにいる以上、私たちはこのレジのもとに平等なんだから。そうだろ? だからオマエの立ち位置ってのは、そこじゃなくて、こっちの列のいちば〜ん後ろなんだよ! わかったか。だから…」
「こっちの列ですよね」耳もとで誰かがささやく。「エッ?」
□止まらない空想はその声にさえぎられ、我にかえった私は目を開けた。ささやき声の主は、私のすぐ後ろに並んでいたおばさんである。もちろん知らない人だ。「ハ、ハァ」と私。「一列で並びますよね、いつも」
□それから私たちはしばし繰り言のようにそう言い合った。結局、「お店の方が徹底して言って下さらないと…」「そうですよねえ」と二人の意見が一致したところで私の順番がきた。「では、お先に」「どうぞどうぞ」
□見知らぬ人と楽しく会話してしまった。行列も悪くない。
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2011.6.2(木) |
スペイン風
□スペイン風オムレツにはじゃがいもと玉ねぎを使うそうだ。フランス風だと基本はプレーンで、バリエーションでかつおやほうれん草を入れたりするらしい。
□スペイン、フランスの正しいオムレツを知らないし、どんなニュアンスで「〜風」がついているのかもわからない。でも、日本の玉子焼きも、だし巻きがあり、甘〜い砂糖入りがあり、じゃこを入れたり、刻んだニラを入れてみたり、もちろん挽き肉のオムレツもある。きっと玉子にまぜたり、くるんだり、つないでもらって、楽しくおいしく食べたいと願う気持ちは同じなんだナ。
□家にたまたまじゃがいもと玉ねぎがあったら、とにかくフライパンで焼いて「これスペイン風」なんて言ってダンナの反応を見てみよう。おいしければ「またスペイン風作って」と言ってくるかもしれない。でも、外で大声で「スペイン風はおいしいよね」などとは言わないでほしい。私の料理は雰囲気一発だから。つい先日も、他人様にむかって「彼女はけっこう創作料理を作ってくれますよ」と真顔で言った。私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。
□家の中で便宜上使っている言葉を外でそのまま使ってしまうのは、明らかにルール違反である。
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2011.6.7(火) |
老眼の道
□今日はくもり空、湿度は60%近い。ヒヨワな私にとって貧血日和だ。用心しよう。
□ところで最近、老眼がより進んだ気がする。「これってサァ」と、人から何か文字を見せられても、ぼやけてしまってまるでわからない。
□気がつけば、老眼にまつわる人様のアクションにも意識がいくようになった。たとえば、スーパーなどで商品をチェックする時、眼鏡をはずす人、おでこの方にずらす人、チョイと下に下げる人。眼鏡に鎖をつけて、かけたりはずしたり容易にしているのもわかる気がした。ルーペを首からさげている人もいる。
□遠近両用の眼鏡、コンタクトなどもあるが、人それぞれ自分に合ったものを見つけていくのだろう。人生は手探りで歩いていくものなのだなあ。
□老眼はさりげなく、じわじわと忍び寄り、ある時それに気づいた自分は戸惑いやストレスを感じる。「いつからこんなことに…」とあせる。でも、世間を見渡してみればベテランの方もいて、「まあまあ、最初はツライよね」と、心にゆとりをもっているのだろう。あらためて大人ってスゴイなあ。
□老眼に関して、私はまだまだヒヨッコである。
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2011.5.12(木) |
拝む
□時折無性に「アイスが食べたい」と思う季節がやってきた。
□でも、ひとくち食べれば気はおさまる。
□昔は大きいサイズのものや色々な種類をいくつも買いだめしたものだが、今はそこまでする必要を感じなくなった。スウィーツに関しても同様で、テレビでケーキバイキングに女性たちがむらがっているのを見るにつけ、元気だなと感心してしまう。
□人は年とともに好みや体調が変化してゆくものだから、何ら不思議なことではないのだが、それでも自分自身が確実に変化していることを実感すると、私もちゃんと人間なのだという安心感と、年をとってゆくことの切なさが入り交じった気分になる。
□そして、何でもないちょっとしたこと、若い頃はほとんど意識していなかったこと、たとえば、今日は天気がいいとか、煮物がちょうど良い味付けでできたとか、そんなことだけで幸せを感じ、「有り難い」という気持ちも湧いてくる。
□するとなんだか、手を合わせて拝むという行為をしたくなる。
□道ばたの草花や昼寝中のネコたちに、新芽を出したうちのベンジャミンの鉢植えや、せっせと働く総菜屋さんのおばさんに、拝みたおしている今日この頃であった(※外では目立たぬようにやっています)。
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2011.5.17(火) |
家事とサスペンス
□夕方ぽっかり時間があくと、サスペンスドラマの再放送を見る。せっかくだからコーヒーを入れ、ナッツ類などをつまむ。黄昏タイムは、けだるく、切なく、淋し気で、人情噺のサスペンスがグッと心にしみてくる――。このままうたたねしてもいいような、至福のひととき…。
□さて、今日の夕方には何もない。そう、だから今のうちにやるべきことをやってしまおう。いつものごとく、掃除、洗濯、おつかい、銀行に行ったついでにクリーニング屋さんにもよって…。
□前もってやっておく、とは先を見越しているということ、だが見越し過ぎて食パンや納豆を買い過ぎてダブつかせてはいけない。まったく家事はエンドレスである。
□そういえば母はよく、夜ひととおりの家事が終わると「今日の営業はこれにて終了しました」みたいなことを言ってパチッと電気のスイッチを切った。これ以降キッチンでガタガタするな、もしくは何かやるならご自分でどうぞ、というわけだ。デキる主婦はちゃんと自分の時間割をもっていて、先の見越し方にもルールがあり、在庫の管理もできているらしい。
□私のように何の法則も持たず気分一発、急に思い立って一週間先まで見越してみたり、そうかと思えば今必要な洗剤がきれていたり、とバラバラでムラがあるのはド素人だ。
□だが反省ばかりもしていられない。夕方の黄昏タイムをめざして今はとにかくがんばりたいのだから。
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2011.5.19(木) |
美しい景色
□私が住んでいる部屋は6階。目の前の通りをはさんでむかい側にはファミリー向けの大きなマンションが建っている。うちとはベランダどうしが向かい合っている状態だ。
□お向かいは東向きだから、朝8時頃にはすでに洗濯物が一斉に干されている。朝の光の中、とても気持ちの良い光景だ。土日ともなればポツンポツンとふとんが干されていて、のどかさが心をほぐしてくれる。美しい景色だと思う。
□ヨーロッパのどこか下町の集合住宅で、窓から垂直に伸ばされた物干しに洗濯物がヒラヒラとはためいている景色をテレビで見たりするが、ああいうのも悪くない。暮らしの中にある風通しの良さや、降りそそぐ光が心の中に静かな感動をくれる。いいなあ。
□ファッションやブームとは関係なく、ごく自然にある風景。1日がとてもなめらかに始まってゆく。あぁ、いい感じ。
□私は5月がとても好きになった。
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2011.5.7(土) |
選択しよう
□小学校3年生まで、私は銭湯に通う生活だった。
□というより、お風呂といえば銭湯のこと、という時代だった。それで、時間帯によっては大混雑していて、自分の桶(ケロリンと書かれた、あの黄色のプラスチック製のもの)を確保することさえひと苦労という日もあった。今思えば、幼い子どもを連れていた親は、すさまじいエネルギーを使っていたのではないか。それでも、銭湯に行くことは日常生活のヒトコマであったから、いちいち腹をたてたり、心から癒された…などと深く感情的になるものでもなく、繰り返されていた。
□今なら、部屋の中を三歩も歩けばそこにお風呂がある。そしてそれは自分専用でもあるのに、時々「今日はいいや。たいして動いてないし」などと面倒くさがり、またある時は1日二回入る時もある。なんとありがたい話だろう。自分の都合、自分の気分ひとつで選べるのだから。
□だいたい幼い頃は選べる自由が少ない。もしくは、他を知らない。だから幼稚園や小学校に毎日通うことに、イイもワルイもなく、そういうものなんだ、と決まっていた。これが中学生ぐらいになると、「何故毎日ここに座っていなくちゃいけないんだ!?」と不満だらけである。
□選べる自由が欲しくてたまらなかった。そして今、本当に自由になった。この降りしきる雨の中、スーパーと銀行に行くのは今なのか、それとも「午後でもいいや」なのか、私の心は揺れている。そしてその決断を下す間も、時は刻々と流れ、私はすさまじくエネルギーを使っているのであった。
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2011.5.9(月) |
もっと上! 真上に!
□日中に日射しを浴びると夜よく眠れる、というのは本当だ。
□昨日はスペインを思わせるような(イメージです)まぶしい日射しの中よく歩いた。すると、日頃は寝つきの悪い私がコロッと眠ってしまったのである。だいたい切替えが悪く、物事を引きずりやすいたちの私は、珍しくこんなふうにスッと眠れるとそれだけですこぶる気持ちが良い。
□だが不思議な夢を見た。
□それは、恐ろしく急勾配で長い長いスベリ台をすべらなくてはいけない夢だった。私の番がくると、監視員の人が「ハイ、手は真上にあげて」と言う。手すりなどにつかまってスピードをセーブしてはいけないらしい。監視員がピーッと笛を鳴らしたらスタートしなくてはいけない。だが私の手の上げ方が不充分であるらしく、「もっと上! 真上に!」などと注意を受けているところで目が覚めた。
□私は布団の中で思いきり手を上へ伸ばし、伸びきってみた。伸びるって気持ち良いことなんだナ。今日も日射しを浴びていこう。外は快晴、気持ち良い朝である。
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2011.5.10(火) |
ではそれで…ウ〜…
□今朝9時頃、宅配便が来た。
□突然の「ピンポーン」という音に私はビクッとした。この日に限って私はまだ顔も洗わず、寝癖でグシャグシャになった髪もそのまま、部屋の片づけをしていた。だらしないジャージにボロのTシャツ。今5分猶予をくれれば、もう少しマシな身なりになれるだろう。でもそんなことはできない。
「ピンポーン、ピンポーン」…出たくない。今は誰とも会いたくはない。なのにピンポンという音にせかされた私は「ハイ…」と出てしまった。
「あの…」と私は腹の底から絞り出すような声を出し、「今…ちょっと…あの…おなかが…ウー…痛くて…あの…10分後に来て…もらうこと…ウー…ってできますか…ウ〜…」などと言ってしまった。すると配達の方は、「それはチョット…。午後のお届けになってしまうのですが」と言った後、住所と氏名を確認し、「わかりました。では玄関のドアのところに置いておきますので、オートロックだけ開けてもらえますか?」と言った。ありがたい!
「あ…ありがとうございますゥ〜、ではそれで…ウ〜…」となった。
□宅配の方のルール、受領のサインをもらうとかがあるだろうに、お腹が痛いと言う私を尊重して、すばやく決断していただいたことに感謝せずにはいられない。と同時に、「ウソをついてゴメンナサイ」。
□でも本当は、宅配の方は私の小芝居につき合ってくれただけかもしれない、と思った。
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2011.5.2(月) |
横断歩道の真ん中で
□昨日の強風はまっすぐ歩けないほどだったが、今日は暖かく穏やかな月曜日。
□朝イチで銀行へ行き支払いを済ませようと外へ出ると、途中、横断歩道の向こう側に近所のおじさんが立っている。私を見て会釈をして下さった。私はハッとして目一杯笑顔を作ってみたのだが、いきなりすぎて変な顔になっていたかもしれない。
□信号は赤。いつまでこの表情をキープすべきか…。やがて信号は青へ。横断歩道の真ん中ですれ違う時、とびきりさわやかに「おはようございます!」と言って完了だ、とイメージし、笑顔のまま前進。ところがおじさんはど真ん中で立ち止まり、「今日はおだやかでとても気持ち良いですね」と話しかけて下さった。またもや準備不足の私は慌てて「おはようございます」の「お」を引っ込めて、「そうですね」と言った。続けて「では、また」と締めることもできず、一瞬ど真ん中で時が止まってしまった。どうしよう!? おじさんはこの間(ま)をどう感じておられるのだろう。結局私は「では、いずれまた」とあいまいなトーンを発しながら再び会釈。おじさんも微笑み返しをして下さって、お互い歩き出したのであった。
□私は背中におじさんを感じながらちょっぴり切なくなった。もうちょっと気の効いた返事ができたら、もっともっとステキな朝のワンシーンになっただろうに…。
□こんな時、私は自分のボキャブラリーのなさと瞬発力のなさをうらめしく思うのであった。
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2011.5.4(水) |
たて線
□昨日の夕方、うたたねをした。
□テーブルの上にうつぶせて、自分の腕を枕に眠ってしまった。30分ほどで目を覚ますと、右腕がしびれて変な感じになっている。顔でも洗ってシャキッとしようと洗面所に行き、何気なく鏡を見ると、右のまゆげの下からほっぺたにかけて、クッキリとたて線が入っていた。ちょうど右目の真ん中を貫いており、丹下左膳とか、お噺に出てくる海賊や盗賊の類いに見えた。
□うーむ。着ていたトレーナーの袖口がちょうどこの位置にあったのだろう。自分の頭の重さがイイ具合にこの線を作ったのだ。偶然とは言え、実によくできている。
□このまま喫茶店へ行き、気取ってコーヒーなど飲んでみたら、まわりのお客さんはこんな私をどう見るのだろうか。いや別になんとも思わないだろう。
□年に数回、気合いを入れてお洒落をし、「今日の私、どうよ!」と鼻を膨らませてお出かけをしてみるが、他人にとってそれは当然なんでもないこと。
□よってこのたて線は、大変貴重なものではあるが、私以外の誰にも評価されることなく、やがて姿を消してゆくのである。
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2011.3.30(水) |
何もない
□突然思い出したことがある。
□今からさかのぼること20年以上前、私は新宿のとあるレストランで、夜ピアノの弾き語りをしていた。ある日そこにアルバイトで女の子が来た。年は私より三歳くらい下。私たちはなぜか急に仲良くなった。
□ある時、「うちに遊びにおいでよ」と言われ、どこに住んでるのと聞くと、「参宮橋」だという。なんかオシャレだナ、私には縁のないところだなと思いつつ、ついて行くと、そこはイメージに反して“○○荘”といった感じの古いアパートだった。
□扉をあけると三帖ほどのキッチンで、くもりガラスの引き戸のむこうに六帖の和室があるようだ。キッチンはかなり暗く、Zライトを壁に当てて間接照明にしていた。無造作に置かれたブロックと、その上に14インチほどのテレビ。食器棚やテーブルなどはなかった。そして、奥の六帖はどうなっているのかというと……、そこには何もなかった! ただカーテンがさがっているだけのまっさらな6帖間だ。衣類と布団は押し入れの中。これで全部だと言う。
□驚きと困惑…。しかしこれほど何もないって、なんてすがすがしいんだろう! 私は笑いがこみ上げてきた。もう彼女の名前も忘れてしまったけれど、今はどうしているのだろうか。とにかくただ者じゃない。
□今思うと「何もない」のではなく、何も置きたくなかったのかもしれない。たった数カ月で彼女はアルバイトをやめ、風のようにどこかへ消えてしまった。
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2011.4.8(金) |
プラマイゼロ
□すっかり暖かくなった。桜も咲き、入学シーズンである。
□今日はお釈迦様のお誕生日。お釈迦様にもちゃんと誕生日があり、人間としてこの世での暮らしがあったのかと思うと、少々不思議な気分である。とはいえ、やはり人間とは思えぬ神々しいオーラを放っていたのだろうか。
□私は学生時代、実年齢よりずっと下に見られてきた。大学生の時は高校生、高校生の時は中学生…。中学二年の時には商店街のおばちゃんに「お姉ちゃん大きいねェ、4年生ぐらい?」と言われ、かなりショックを受けた。チキショー。大人っぽく見られたい! そして年をとると、今度はアンチエイジングとかいって、若く見られたい。これはごく一般的な心理だと思う。“若く見られる”と“幼く見られる”は全然ちがうことなのだ。
□ところが、こんな私も30代の頃はけっこう得をした。まだ若いのに言うことがしっかりしている、などと評価されることが多々あった。一体私をいくつだと思っているのだろう。そしてさらに月日は流れ…、今はどうかと言うと、良くも悪くも年齢不詳といったところだ。もちろん、友人・知人であれば、気兼ねなく「老眼疲れるよね〜」などと会話しているが、新しく出会う人の中には、どこか戸惑いを感じる方もいるようだ。話しているうちにタメ口になったり、なんとなく敬語に戻ったり…。さぐっているな、と感じる。
□しかし、30代の頃の効力がだいぶ下火になっているのも確かである。おそらくあと数年で、学生時代の悔しさも社会人になってからのチヤホヤもプラマイゼロ。そこから先、本格的に「中身」を問われていくことになったら……、急にあせりを感じる私であった。
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2011.4.19(火) |
不完全
「何かで読んだんだけど…」とうちのダンナが口を開く。「完全主義者というのは何も生み出さないらしいヨ」
□……どういうことかというと、完全主義者であるがゆえに、その結果に至るまでのプロセスを綿密に考えてしまう。するとその中に矛盾や無理を感じはじめ、結局実行に移す前にやめてしまう傾向にある…という話だった。
□果たしてこれを真の完全主義者というのだろうか、という疑問はひとまずこっちにおいといて…。
「結果に至るまでのプロセスを綿密に考える」ということなら、私にも思いあたることがある。たとえば掃除機をかけている時。「このあとフィルターを洗って、それからお米をといで、タイマーをセットしたらおつかいに行ってしまおう。たしか午後から雨が降るから」などと考えをめぐらす。そして掃除を終え、おつかいに行く。果たして夕方、ごはんのジャーをパカッと開けると、そこにはカラッポの冷たいお釜が…。
□頭の中だけで、すでにフィルターも洗い、お米もといでタイマーをセットし、それですべて完了したことになってしまったのだ。
□やったつもりでやってない。それでも、やるつもりでやらない完全主義者より、幾分愛嬌があっていいのではないかナ。
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2011.3.21(月) |
コーヒーと情熱の間
□昨日テレビで、中川一政さん(1893-1991)のことを知った。97才で亡くなった画家。私の大好きな向田邦子さんの『あ、うん』、あの表紙を飾る狛犬は中川一政さんの作品であった。
□番組の最後に一政さんの言葉がナレーションで流れる。
「よく生きたものがよく死ぬ。よく働いたものがよく眠るのと同じこと。そこには理屈も神秘もない(略)」
□ああ、私のように眠る前に何かゴソゴソし始めるタイプはだめだね。「ちょっと小腹がへったナ」とか、お得意の「コーヒーをもう一杯」。なんとも歯切れが悪い。
□何が答えなのか、そもそも何が問いなのか。どちらもわからない、何の枠組みもないところから、時間の浪費を覚悟の上でひとつひとつ試しながら前進していける人、すごいな〜。一政さんはそういう偉大な画家である。何より表現することへの情熱が勝っているのである。研究者、探究者といってもいい。私なら、どこから手をつけたらいいんだ!? と困惑している間に何杯も何杯もコーヒーを飲んでしまうだろう。
□そんなわけで私は毎日午前中の時間割りをボンヤリと決めているのである。
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2011.3.23(水) |
忘れる幸せ
□人は誰でも忘れてしまいたいことと憶えておきたいことの両方を持っている。悲しくつらいことを知っている人ほど、心が満たされた時の至福感は大きく記憶に残るのだろう。
□シリアスに書き出したが…。
□小・中・高と何年もかけて覚えた漢字も、今や半分は忘れてしまった。あとの半分もボンヤリ覚えている程度で、偏とつくりが逆だったり、棒が一本多かったり、かなり怪しい。憶えておきたいことは常に取り出して「今」として感じたり、活用したりしないといけないようだ。それでショボショボした目でまた国語辞典を引っぱりだして調べてみることになる。これはこれでけっこう楽しい。そんなフワフワした気持ちでやっているから、またすぐに忘れてしまう。骨身にしみたことならきっと憶えているし、忘れたくても忘れられないこともあるだろうに。
「そうか! こういうことか!」という気づきや感激も、実は以前に何度も同じように、気づいて感動しては忘れ、また気づいて感動そして忘れ…、を繰り返していたのかもしれない。最近そんなふうに思うようになった。
□これではあまり進歩はないが、当の本人は同じようなことに何度も感動して気持ちよくなっているのだから幸せ者である。
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2011.3.24(木) |
あいづちはやめてください
□10年以上前のこと。私はあるラジオ番組にレギュラー出演していた。ハーブ、アロマ、ゴールデンウィークの楽しみ方、なんてことがテーマの、3分ぐらいの小さな情報番組だった。
□私には「コメンテーター」とか「ナチュラリスト」という肩書きがついていた。番組は進行役のプロの女性アナウンサーがいて、コメンテーターでナチュラリストの私は合間合間にナチュラルなコメントをするのだ。初めての体験で、とても楽しかった。
□緊張もとれはじめた二カ月目。「もっと喋りたい!」という欲望の表れから、女性アナに対する私のあいづちの回数が激しく増えていった。するとスタッフの方から、「編集しづらいからあいづちはやめてください」と注意を受けてしまった。
□わかりかけたと思った矢先に逆風が吹く、というのはよくあることだ。こういったことは他の場面でも何度も経験したことがある。イイ気になってた自分が恥ずかしくもあり、悔しくもある。
□さて、当時その番組をスタッフの方がカセットテープにまとめてくれたのだが、さがしてみると…あったあった、カセットテープ。
□どうしよう。聴いてみようか?!
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2011.3.8(火) |
くつ下を履いて寝ると冷え性になる
□ついこの間まで、春はすぐそこ! とウキウキしていたのだが、昨日は雪が降り、今朝の冷え込みはまた一段と厳しい。寒い…。ああ、動きたくない。億劫だ。こんな気持ちはあたたかい気候で暮らす人々には理解できないだろう。逆に、しょっちゅう雪に見舞われる日本海側の人たちはどうしているのだろう。このくらいの寒さでブツブツ言っている私はひどく低レベルなのかもしれない。
□くつ下を履いて寝ると、かえって冷え性になる、とごく最近聞いた。子供の頃、くつ下を履いて寝るのは縁起が悪い(死んだ人に足袋を履かせるから)と親が言っていたけれど、これは昔の人の知恵からくる戒めだったのかな。人間の本来持っている力というものを、私はだいぶ失いつつあるようだ。
□結局頭で考えて、コラーゲンだ、インナーマッスルだ、エステだ、自然食だ、と騒ぐけど、自分の感覚だけで必要なものを選び取る力がないんだ。体がボケている。
□エーイ、と私は一時の感情にまかせてエアコンのスイッチを切った! 窓を開け、北風を部屋に招き入れてみた。私の中の「人間の力」目を覚ませ!
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2011.3.9(水) |
3カ月で達人になれる
□今朝の天気予報では、「昼間は日射しが戻るでしょう」とのこと。だいたい12℃だと「チッ、まだ寒いナ」と思うけど、13〜14℃で少しスクワレタ感じに、15℃ともなればあたたかいってスバラシイ、と感謝の気持ちまでわいてくる。
□昨夜、「3カ月で達人になれる〜」的な本を読み続け、今朝は完全に寝不足である。久々のパターンだ。私は“たった○○でこんな結果が手に入る”的な本が大好きで、昔はたくさんこのテの本を買った。今はお金がもったいないので買いはしないけれど、図書館や知人から貸してもらったり、タダならやっぱり好きだ。でも、このテの本が自分の身になることは絶対にない(あくまで個人の感想です)。だから単に本を書いた人の工夫や考え方に触れて、楽しかったな、とか、文章が気楽に読めて良かったな、とか、サラッとした心持ちで読むようにしている。
『四時間睡眠のススメ』を読み続けて寝不足に…、『スーパー速読法』をじっくり読んで目がショボショボに…。もうそんなことを繰り返していてはいけないのだ。いいトシなんだし。
□ただ、マイスタイルを持っている人というのはやはりユニークで面白い。またこのテの本にはまりそうである。
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2011.3.10(木) |
洗濯しよう
□雲一つない青空。寒いけれど気持ち良い朝。
「おっ、これなら洗濯2回イケルな。イエ〜イ!」とテンションがあがったところで、すぐ行動に移さないといけない。でもその前にもう一杯コーヒーをいれて…などと情緒にはしると、いつのまにやら時が過ぎ…。
□欲張るからいけないのだ。天気が良いことにつられて、あれもこれも洗っておこうと思ってしまう。その上、天気が良いからコーヒータイムもゆっくり味わって、優雅な気分にひたりたい。欲張るからダメなんだ。
□これとあれとそれは毎日絶対しなくちゃならないこととわかっているなら、いちいちゴタクを並べずに、ただ淡々とやればいいのだ。私はいつもワンテンポ遅れるからゴタクが入ってくる。
□その上私は目先の現象につられやすい。スーパーに行っても、半額シールを見ると心が揺らぐ。どうせなら2つぐらい買っておこう、とさえ思う。本当に必要か、ということは考えなくなる。
□もう一度、今朝は確認しておこう。
□体力、気力、お金、時間。これらは一定の量しかないもの。世の中、必要なことがわかっている人は、ちゃんと生活しているではないか。
□というわけで、洗濯しよう!
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2011.2.25(金) |
プラス思考
□今日は昨日とうって変わってポカポカ陽気。気がつけば、いつもの三倍ほどの行動力で午前中を過ごした。
□掃除、洗濯2回、銀行、おつかい、夕食の仕込みに電子レンジの掃除。台所もスッキリだ。あったかいということは素晴らしい。人にやる気を起こさせる。
□よくプラス思考でいきましょう、などと言うが、本当に心からプラス思考になるのは簡単じゃない。個人の性格ってものがあるから。プラス思考の中には、ただ大雑把で鈍感なだけ、というのもあるだろう。プラス思考になるための知恵がほしいと思う。
□はっきり言って私はマイナス思考でいたがるタイプだ。プラスに考えて結果が出せなかった時の挫折感がこわいのだ。だからいつも自分を低いところに置いといて「どーせ」と言い、人から「そんなことないよ」と持ち上げてもらいたい。
□自分のパターンはなんとなくわかっている。だからこんな自分のパターンにため息が出ることもある。
□しかし今日の自分は違っていた。あったかいからだろうか。
□考えはじめると…、いや、考えないでおこう。
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2011.3.1(火) |
先負
□今日は「先負」である。何と読むの? サキマケ? でいいんだよね。
□最近の傾向として、午前中を有効活用しようとし過ぎて、逆にアダになるようだ。あれもこれもと思い過ぎている。できなかったときのフラストレーションが一日を支配してしまう。イントロで力み過ぎて軽々とビートに乗れない私の歌みたいだ。
□こんなときどうしたらいいんだろう。
□一日はまだ終わったわけじゃない。どこかでとりかえせばいいのかな。少しゆったりした心持ちで、一人で笑ってみた。
「エヘヘ」
□ちょっぴり楽になる。これぐらいでヨシとしよう。グダグダ言ってみたところで時は過ぎていってしまうから。
□今日は「先負」である。午前中もそろそろ終わることだし、「いったん負けました」というテイで、秘かに午後の逆転を狙う。でもあんまり力んじゃいけないよ。何気ないムードが大事。さて、どんな結果になりますか。眠る前のお楽しみ。
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2011.3.2(水) |
終わりとはじまりとその途中
□スッキリしないお天気が三日も続くと少しは慣れてくる。
□良い点は湿度。ずっと40〜50%をいったりきたり。ちょうどいいんじゃない。いよいよ冬も終わりなんだね。
□終わりを感じると、人は急にやさしくなったり愛おしさを感じたりするようだ。昨日は日航ジャンボ機が引退、お別れ、ということでたくさんの人が別れを惜しんだ、というニュースを見た。関わった人、機長や整備の人ならわかるけど、一瞬このニュースを目にしただけの私までグッとくるものがあった。
□そしてもうひとつのニュース。スカイツリーがついに600メートルを超して世界一になった。これまた大勢の人が現場に押し寄せ、写真を撮ったりなんだり。
□人も同じなのかも。誕生したり死んだりすると、祝ってくれたり悲しんでくれたりする人がいるけれど、その途中は自分でなんとかしなければ…。
□一日を大切に生きる。ねばり強くやり続ける。今日はそんなシンプルな言葉が心のどこかにあるようだ。
□うーん、私も昭和の日本人なんだな…。
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2011.3.3(木) |
年中行事
□今日はひなまつりで大安で快晴。心地よい朝です。
□幼い日のひなまつりを思い出す。母親がお昼ごはんにちらし寿司でお雛様を作ってくれた。茶巾寿司の人形版みたいなものだ。着物は薄焼きたまごで、頭はうずらのたまご、黒ゴマや紅ショウガでちゃんと顔もあり、愛らしく、食べたらかわいそう、と思いながらも大事にいただいた。すごく嬉しかった。
□だが私はこの年中行事というものがどうも苦手である。あの頃は親子三人、狭い都営アパートに住んでいた。だから「七段飾りとはいわないけど、お内裏様とお雛様だけ買おうか」と言われたけれど、私は「絶対に欲しくない」と言い切った。年に一度のもの、つまり出したりしまったりするものにお金をかけるのは納得できない。その上、両親が「世間並みのことをしてやらないと、この子がさみしい思いをするんじゃないか」という動機で言っているのもなんとなくわかって、「そんなことはない。私は我慢などしていない、心底欲しくない」ということを伝えたかった。
□お正月だから晴れ着、子供の日は鯉のぼり、七夕には笹を飾って……。なんだか大袈裟で、逆に気持ちがひいてしまう。だがクリスマスの日に我が家に小さなクリスマスツリーが飾られた時は別で、赤や黄、緑やピンクの電気がチカチカついたり消えたりするのを眺めているのはとても楽しく、ロマンチックだと思った。
□すっかり大人になった今、ひなまつりに桜餅を食べたり、子供の日に柏餅、お彼岸におはぎ、クリスマスにケーキをいただくというのはスンナリ受け入れられるし、嬉しいものだ。でもそれ以上でも以下でもない、ナニヤラ部屋を飾り立てたりするのは、やっぱり性に合わないようだ。
「今日はひなまつりだから桜餅買ってきたよ」「じゃあ、お茶いれるね」などと言いながら、お湯を沸かしてちょっと一息。このくらいが私は好きである。
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2011.2.21(月) |
ブヨブヨ
□ある朝、いつものように目を覚ましメガネをたぐりよせかけた。しかし、いつもよりずっと見えにくい。右目に違和感がある。
□なんだろう? …まぁいいか…。私はド近眼、ド乱視で、今は老眼だから仕方ない…。
□それにしても右目はいつもにも増して見えにくい。たまごの白身のようなブヨブヨしたものが、常に目の中で泳いでいる。
□三日経った。ブヨブヨは居座ったままだ。
□別にいいけど、と思う反面やっぱり不安で眼科に行った。網膜から水晶体がはがれ落ちはじめている、という説明を受けた。はがれちゃったらまずいのでは? と思ったけれど、人は年をとるとこうなってくるそうだ。もちろん全員ではない。それに個人差がある。私はけっこうたくさんブヨブヨがあるらしい。薬を飲んで直るものでもないので、慣れるしかないようだ。
□チクショー! いろんなことが身の上におきるナー。でもやっぱり困った時はお医者さんに頼るしかない。もっとチャラチャラ気楽に大雑把に生きていたいけど、実はいろいろ気にしている。膝も痛いナ、歯医者さんもさぼったままだナ…。若い時とは全然違うジャンルの憂鬱さがやってくる。チキショー!
□ン!?「チキショー」なのか「チクショー」なのか!?
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2011.2.22(火) |
たったこれだけのことで
□私は毎日午前中に掃除機をかける。11帖程のフローリングの半分ぐらいだけ、バニラアイス色した絨毯がひいてあって、この色はゴミを目立たせる。だからやらないわけにはいかない。特に私の髪の毛と旦那のソックスのカスみたいなものが目について仕方ない。
□掃除機は、ダイソンとかではないけど、フィルターを洗うと全然吸い込みがちがう。スイッチ・オンした時の音からしてちがう。この時ばかりは愚痴っぽい私も心から嬉しい。ぐんぐん結果を出してくれるこの掃除機に感謝で一杯だ。
□だから三日〜四日経つとこのフィルターを洗う。洗わずにはいられない。たったこれだけのことであの快感が得られるのかと思うと、全く苦にならない。
“たったこれだけのこと”と楽しく物事をとらえ、クリエイティブに生きていける人はステキだな。このひと手間で仕上りが全然ちがうの…ナンテね。
□今の私が率先して自主的にやろうと思えるひと手間は、このフィルターを洗うこと…だけである。
□ついでながら、毎日洗ってしまうとそれはそれでつまらないのである。
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2011.2.24(木) |
見てどうなるもんでもないだろう
□昨日はたいへんな一日だった。生まれて初めて「大腸内視鏡検査」というのを受けたのだ。
□検査時間の30分前には控え室にいて説明を受ける、とのことだった。私は45分前には着いてしまった。するとそこには先客がいて、検査着を着たおばあちゃんと付き添いであろう年配の女性が世間話をしていた。二人はいたって元気にあっけらかんと、俗世間の話にうつつを抜かしている。なんて明るいんだ。これからおしりに内視鏡を突っ込まれるというのに…。
□そこへ若い男性の看護師さんがやってきて、何やら説明が始まる。おばあちゃんは軽く流す感じで「ハイハイ」「あらそうなの」的な返事であった。そばにいた私の方が真剣に聞いている。ではいよいよ、という段になって、血をとられ、小さめの点滴をつけられ、その点滴のぶらさがった棒をガラガラと押しながら、おばあちゃんは検査室に向かうのだ。その姿は病院ワールドの住人にすっぽりおさまっていた。
□次は私があの姿になるのだ。もう観念しなければ…。その時、看護師さんが付き添いの女性に声をかけた。
「あ、一緒に立ち会ってモニターが見られますが、どうされますか?」
「えー? 別にいいです。ねェ」
□するとおばあちゃんも「見なくていいよお」という返事。見てどうなるもんでもないだろう、というニュアンス。実にはっきりしている。カッコイイ!
□あんな、キモの座った人間に私もいつかなれるのだろうか。
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