2013.12.30

今年最後の

「洗車した時にかぎって、次の日大雨になるんだよナァ」と昔ダンナがよく言っていた。

私に言わせれば、私が特に気合いを入れてトイレそうじをすると、そうじが終わるのを待っていたかのように「どうもハラの具合がおかしい」などとぼやきながらダンナがトイレに入っていくのである。

今日は12月30日月曜日。今年最後の可燃ゴミの日であった。私は一週間前からこの日にむけて常に、ゴミはないかとファイルをせっせと整理したり、とっておいた包み紙を整理したり、セコセコとやってきたのだ。

時折ダンナに「ゴミは今のうちだよ」と声がけしてきたけれど、私の期待するようなリアクションは何もなかった。そして今日、私は言った。「今日からゴミを出さないで下さい。年明けは6日からなので」

「あ、そうだっけ」と言ったダンナの手には、これから破こうとしている紙の束が…。

こうして2013年も残すところ1日となりました。


2013.11.5

テンポアップに乗り切れ!

気持ちよい秋晴れ。こんな小春日和の穏やかな日に百恵ちゃんの「秋桜」を聴いたら、本当に心にしみるだろう。

さて、今日もスーパーに行って再び驚いた。そこで売られていたものはズラ〜リ並んだ鏡もち。そういえばすでに年賀状も売られているし、クリスマスツリーぐらいで驚いている場合ではなかった。

私は季節音痴なだけでなく、この年末に向けてのテンポアップにも乗り切れず、ボケッとしていたのだろうか。ムムム、、、しかしこうなってくると何だかシャクにさわる。どっちかと言えばせっかちなたちなのに…。

どこか腑に落ちぬまま急ぎ足で家に戻り、部屋を見回すと、日常気に留まることもなかったテレビのうしろのホコリや配線コードのごちゃつきが目にとまった。そういうことか…。ウム、今から気合いを入れて掃除をしよう。年末に、大掃除まだやってな〜い、ナンテ絶対に言うまい。

たしかに12月になれば気ぜわしくバタバタしてしまうに違いない。ちゃんと掃除できるのは、まさにこの1〜2週間なのだ!


2013.11.1

季節音痴

なんとも穏やかであたたかな日差しに気持ちもほころぶ昼下がり。

鼻歌まじりに駅前まできてゾッとした。そこにはドでかいクリスマスツリーが飾られていたからだ。あのカボチャ野郎が姿を消したと思ったら、駅前商店は一斉にクリスマスになっていた。しかも11月いっぴから。

消費者に次のイベントをなじませていく。そしてその気にさせるこのムード作り。ハロウィ〜ンの次はクリスマス。その間に1日の隙も与えないこの徹底ぶり。しかし前倒し過ぎじゃないの!? 季節音痴になってしまいそうである。

その上明日から連休であることにも今気づいた。一体いつ浮ついた休日気分を楽しめばいいのやら、よくわからなくなっている私なのであった。


2013.10.3

愛着と執着

かねてから気にしていたTシャツやGパンを処分することにした。

それらは、見るからにボロで、首まわりもデロンと伸びきって、ところどころほつれ、穴があいている。それでも私には愛着があった。長年着続けたせいか、ボロ達は洗濯して干しても、自分の形をしていて可笑しかった。

あくまで部屋の中で家事専用と決めていたけど、突然宅配便の方が訪ねてきて焦ったり、おつかいに行く時着替えたりしている自分がいて、時折「めんどくさいなあ」とつぶやいていた。

自分の想いと現実生活のはざまで揺れうごく心。

結局、決定的な理由は見つけられなかったけれど、もう終わりにしよう、この季節の変わり目を逃したら、またズルズルといってしまいそうだから。

私はできるかぎりスリムにタイトに生活したいと願っている。ひとたび愛着を感じると何もかもとっておこうとするからだ。愛着は執着とも言える。執着だらけの生活は時に見苦しくなってくる。だからもう終わりにしよう。今までアリガトウ。オツカレサマ!!


2013.10.2

台風はスレスレに迫ってきたけれど、さほど大暴れせずに去って行った。青空がのぞきはじめている。

掃除機をかけようとベランダのサッシと玄関のドアを両方全開にした。するとビックリするほど勢いのある風が部屋を駆け抜けていった。カーテンが大きく舞い上がる。ああ、なんて気持ちいいんだ。

私は掃除機のスイッチを押さずに、おもむろに床に寝転んでみた。目を閉じて、ただただ風を味わった。風は一瞬たりとも留まらない。常に来ては去っていく。これが「自然」というものなんだと、一瞬悟った気分になった。

今、目を閉じてここにいる私は、過去でも未来でもない、まさに今を生きている。だから気持ちいいのかも、と心が満たされていく。

そして何分たったのだろう? 気がつくと私は少々眠ってしまっていたのだった。ヤバイヤバイ、掃除機をかけなきゃね。


2013.10.2

あいつがせせら笑う秋

再びあのハロウィーンの時期がやってきた。

私には縁もなじみもないハロウィ〜ン。あのせせら笑うカボチャの飾りつけが、去年同様チラホラと姿を現し、こっちを見ている。しかし慣らされているのか、年々抵抗感が薄らいでゆく。いいことか残念なことか私にはわからない。とにかくあいつ(せせら笑うカボチャ)を見ると、10月なんだな、実りの秋なんだな、とさえ思うようになった。

そしてたいていこんな日はカボチャを買って帰り、煮物にしたりマヨネーズと和えてサラダ的なものを作っている。けっこう洗脳されている。

しかしテレビで見る限り、ハロウィーンに対する衝動をカボチャを煮るくらいでは抑えられない人々がたくさんいるようだ。仮装パーティーを開き乱痴気騒ぎをする人々、お金と体力をつぎ込んだ飾りつけ…。

幼い子供たちがやっていることはどんなことでもかわいらしいけれど、いい大人がやっていると、見ているこっちは心が冷える。いっそやる側にまわれば楽しいのだろう。しかし私にその気はない。などと、しばし考え込むのであった。

そしてこんな私を「ケケケ」とあざ笑うように、あのカボチャがこっちを見ている。


2013.9.12

魚なのか、わさび醤油なのか

久々の真夏日もどる。けれどやはり秋の日差し、どこか落ち着きがあって心がしみじみする。今夜はカレーより魚。サンマかサバの塩焼きだ、と早々にスーパーに行った。

でも…魚って高いよね。いざとなったらその値段に尻込みしてしまった。サバのみそ煮の缶詰でいいか、と缶詰コーナーに行ってみる。

でも…やっぱり違うよね。

再び魚コーナーに戻ると今度はたまらなくお刺身が食べたくなった。しかしそれこそ高すぎる。チクショー。それなら代用食としてちくわを買ってわさび醤油で食べれば、とりあえずこの欲望は収まるのだろうか?

私が求めているのは魚だろうか、それともわさび醤油だろうかと、だんだん気持ちが追い込まれる。でも本当のことを言えば、マグロのブツかなんかにトロロとわさびときざみ海苔で醤油をかけて食べたいのである。これが今の私の本心だ。

しかし人は本心だけでは生きてゆけない。そして午前中のスーパーをいつまでもウロウロしているわけにもいかない。

だったらいっそ今夜は煮物だ。みじめな気持ちでちくわを食べたらちくわに失礼じゃないか。きっと私の発想力のなさがいけないんだ。

決められた予算の中でステキにやりくりできる気の利いた主婦に私はナリタイ。


2019.9.9

菊人形

今日は「重陽(ちょうよう)の節句」。菊の節句とも言うらしい。お花屋さんのボードにそんなことが書いてあった。

菊といえば幼い頃、親に菊人形展に連れて行かれた思い出がある。菊でできた着物を着たお侍とかお姫様の人形がズラリと並んでいるもので、ゾッとした。

菊に精通した人ならば、その見事さに感動するものなのだろう。でも子供の私には人形の顔も菊の衣装の色合いも、そこはかとなく漂う菊の香りも、すべてが怖かった。そこはまさに菊ワールドであって、私の暮らしている世界とは違うのだった。

しかし、今こうして秋の花を眺めると実に色っぽく、渋い色合いに心惹かれる。りんどう、ききょう、秋桜(コスモス)、自然の風合いが息づいていて、これ見よがしの派手さはなく、そこがかえってキラリと光る魅力だナ。

私も秋の花のような女性になりたい。ナンテネ。


2013.8.31

夏も秋も

テレビの言うことにゃ、雨だと米、スイカは売れない。なぜなら…傘に手を一本とられているから。そして猛暑だとパンは売れない。なぜなら…口の中の水分をパンにとられるというイメージがあるから、とのこと。

25度からアイスクリーム、27度以上になるとかき氷が売れ出す、などと聞いたことがあるが、気温1度の違いに神経を使い、あたりをつけ商品を仕入れ売っている人たちがたくさんいることに感心する。

その一方で、おおかたの人間はやはり天気や気温に体も心も支配されて生きているのだな、とつくづく感じる。

風が変われば気分も変わる。

夏の終わりはけだるく、夏への執着と秋へのときめきが交錯している。その結果、クリーム白玉あんみつといった、夏も秋も感じられるスイーツに心ときめく今日の私であった。


2013.8.29

何かを一周

昨日は一日がかりで外出した。用件といえば、ご無沙汰している人に「ごあいさつ」といったところだ。

行くべきところは二カ所。最初は八王子、次に辻堂。辻堂はPM1:30〜2:00に現地着の約束だったので、遅れぬようダンナに頼んで電車の時刻をキッチリ下調べした。

午前9時01分の青梅線直通で西荻から拝島へ。ここからバス。これまた時間通りなので小走りにバス停を探し乗り込む。用件を済ませバスで今度は八王子駅へ向かい、横浜線で橋本へ。ここから相模線に乗り換え茅ヶ崎へ。茅ヶ崎から東海道線に乗り換えおとなり辻堂へ。そして再びバス、というコースだった。

なんとか決めた通りに実行できたけれど、想定外だったのはトイレ問題だった。もよおした時、車中であれば途中下車はできないし、大きい駅で「今だ」と行ってみると行列ができていたり、あるいは衛生面で「ここはムリ」というトイレもあった。

そして二人時を同じくしてもよおすかというと決してそんなことはなく、どちらかがなんとなくトイレのことで気をもむ、という事態に見舞われた。やれやれ…。

さて、帰りは時間にしばられることもなく、どこで途中下車しようと構わないのだが、日中の日差しの強さも手伝って、もうヨレヨレのフラフラであった。再びバスで藤沢に出て、小田急線かと迷ったけれど、東海道線の快速アクティーという名の電車がちょうど時間的に良かったので乗り込み、座った途端うつらうつら。ハッと気づくと、あれっ? もう東京駅。ここから中央線で無事西荻へ。あたりはもう暗い。

何かを一周してきた達成感と同時に、トライアスロン的な体力の消耗を感じずにはおれない一日だった。


2013.8.21

ボタンホール・ブルース

昨日は午前中から外出し、雑用を済ませ、そのまま仕事に行き、夕方家に戻る直前「やはり一服してから…」と駅前のド◯ールコーヒーに寄った。

よく歩いたし、なんだかヒザがカクカクするなぁ〜。いったん座るともう立ち上がるのも面倒だなあとしばし脱力。

その時、無意識に自分のシャツのボタンに触っていたようだ。そこで突然「ムムム?」となった。

シャツの襟からボタンまで順に指でなぞっていくと、なぜかボタンホールがひとつ余っている。つまりこれは間違いなく、ボタンをひとつ掛け違えているのだ。私のシャツの襟元はひん曲がった状態ということだ。

あぁ…。バカ丸出しではないか。私は今日どれだけの人達と接しただろう。そういえば今朝アーケードで挨拶を交わした近所のおじさんも、私の襟元あたりをチラッと見ていたような気がする…。今思えば何もかもが、今ひとつギクシャクしていたような気になってくる。皆、このひん曲がった襟元をどんな気持ちで見ていたのだろう。

折しも外は突然のゲリラ豪雨。
私のやりきれない思いをすべて洗い流しておくれ…。
私は深いため息をついたのだった。


2013.8.5

という一方で

紫外線は最大の敵、肌を傷めシミが増えるばかり、という一方で、太陽の光を浴びないと体内にビタミンDが作られないので骨粗しょう症になる。特に子供やお年寄りは日光浴はとても大事、という。

顔のマッサージは大切なお肌のお手入れ、という一方で、マッサージのやり方ひとつでシワは確実に増えるらしい。

ゴーヤは種やワタごと食べてしまった方が栄養価があって良い。という一方で、ゴーヤの種やワタはスプーンできれいに取り除いてからチャンプルーを作りましょう、という。

気になる番組を録画して深夜にまとめて見ていたら、こういう結果になってしまった。一体私は何に「ガッテン」したら良いのだろう。メモをとりながら一生懸命見ていたけれど、最終的にどうでもよくなってしまった。

きっとどの番組も正しいことを言っているのだろう。しかし何を実行したらいいのか、まるでわからない。つまり人間「思い込み」だけでシンプルに生きた方が心持ちとしてはラクな時もあるんだな。


2013.8.4

ふかす

午前中に予期せぬピンポンが鳴った。

「何?」

するとそれは宅急便で、遠く離れた知人からの手紙ととうもろこし5本だった。手紙の最後に「とうもろこし、ふかすとおいしいヨ」とある。

「ふかす」…何だか心温まる言葉である。きっとご本人も「ふかし」て食しているのだと思う。送ってくれた知人とは私よりひとまわりくらい年上のおじさん(親戚ではありません。他人のおじさん)。

もし私が送る側だったら「とうもろこし1本につき2分半程度チンして下さい」などと書いてしまうだろう。私にとって「ふかす」とは本場のニュアンスであり、点心や温泉まんじゅうやらをイメージし、こんなにさり気なく当たり前に何かをふかしている台所があるなんて、と胸がキュンとした。

それはまるで夏休みに田舎のおじさんが「ヒマがあったらこっちに遊びに来なさい。何もないけどうまい野菜やスイカならいくらでもごちそうしてやるゾ」といった便りをくれたみたいで、一瞬にして心は夏休みの小学生気分になった。ああ、夏なんだな…。

ところで1本につきどのくらいチンしたらいいのだろう? お昼になったらさっそく1本ためしてみよう。


2013.7.27

役回り

猛暑とゲリラ豪雨を行ったり来たり。湿度もあがりっぱなしでとてもモヤモヤしている。

そんな気候のせいか私はすっかり「かたづけ魔」になった。せめて部屋の中を小ぎれいに、こざっぱりさせたい。こまめに掃除したりファイルをきれいに並べ直したり、けなげにやっている。

気がつけば、ダンナに向かって「これいるの? いらないの?」と訊き、「じゃあ捨てるよ」と言うことが多くなった。それはよくわからないケーブル類だったり何かを書き留めた紙だたtり、ちょっとしたものがあっちにもこっちにも…。

しかし私の上からの物の言い方がやはり感じ悪いらしく、「それ必要だからそこに置いといて」と言い返してくる。チッ、片付かないじゃん。

だが言っているほど私はキチンとした人間ではないし、ダンナもだらしない人間ではない。たまたま私が片付け好きの掃除のできるイイ女っぽい台詞を立て続けに言い出したために、ダンナは片付けられないダメ亭主のような役回りになってしまっただけである。

私は「はっ」とそのことに気づいた。つまり私が言えば言うほど、ダンナは散らかしてゆくかもしれない…。人の心理とはそんなものかもしれない。

もし私より片付け好きのダンナだったら、きっと私はイライラするだろう。


2013.7.9

喫茶店、全席喫煙可

今日は朝イチでダンナが府中試験場へ向かった。免許の更新である。中央線で武蔵小金井へ、そこからバス、というコースで行くらしい。

武蔵小金井はダンナが若い頃働いていた楽器屋さんがあり、慣れ親しんだ街である。

しかし昼下がりに汗だくで戻ったダンナは「すっかり街並も変わっていて…、特に南口は小金井じゃないみたい」と言ってきた。人は誰でも「もうすっかり様変わりして…」といったフレーズを口にするときが来るのだな、と思った。

試験場も今のご時世、館内全面禁煙で館外でタバコを吸うしかない。どんなに猛暑で息苦しくても吸いたいならどうぞ外へ、というわけだ。

ヘトヘトになって駅まで戻ると、ふと、タバコとコーヒーのマークが描かれた喫茶店が目にとまり、吸い込まれるように扉を開けると、店内は思った以上に広く長く、そして全席タバコ可だったので、すごくホッとしたそうな。メニューの字もメニューも、「昔ながら」の香りを放っていて、これまた居心地が良く、また店の一角では年配のおじさん達がワイワイやっていて(もちろんタバコを吸いながら)、常連さん達の風景も悪くなかったとのこと。

実際その喫茶店は20年程前から営業しているらしい。ダンナが働いていたあの頃オープンしたのだろうか。その時はまったく気にとめることもなかったのに、巡り合わせって面白いな。

この夏、私も一度その喫茶店に行って一服してみたい。


2013.7.6

おそるべき夏

今日の昼下がり、梅雨は明けてしまった。あっけなく…。その知らせを聞いたのは、溢れ出る汗をタオルでふきふき、何か作業をしている時だったから余計にショックだった。

今日から2カ月近く、こんな地獄のような猛暑日が毎日続いていくというのか…。それだけで気が遠くなる感じ。

私はこの1週間、何度となくめまいや息苦しさを感じ貧血っぽくなっていた。ああこれが熱中症というやつか。流行オンチの私なのに、これだけはちゃんとトレンドに乗っている。しかし突然街なかで倒れたりしたら、自分もはずかしいし他人様にも迷惑をかけてしまう。そのおびえから、急に水も飲みだしている。

夏は実にシビアだ。自分では実感がないのに室温が30度になっていたり、湿度も60%を超していたり、そして水分が不足している自分にも気づけない。クーラーの部屋にいると、暑いんだか寒いんだかもわからなくなってくる。

ああ、夏…恐るべし…。


2013.7.4

そうだ、◯◯しよう!

今日は午前中一番ノリで美容院へ行き、バッサリ髪を切ってきた。うっとうしい梅雨の中程で「そうだ、髪を切ろう!」と心底思う日がやってくる。それが今日だった。

今、鏡の中の私はスッキリサッパリしてさわやかなオーラに包まれている。う〜む、いいじゃない。ナットク!

こういう気持ちになれる日は1年に1度かせいぜい2度くらいだ。どういうことかというと、自分の思いつきに迷うことなく「そうだ、◯◯しよう!」と結論を出し、すぐさま行動に移し、良い結果を出し、達成感に満たされる。このスマートな流れ。やるじゃん、私。そういう気持ちである。

だが、たいがい私は「よし、◯◯しよう」と思うことができない。迷ってばかりだ。そのうち時は流れ、勢いもなくなり、チャンスを逃す。そこにあるのはどんよりとした冴えない小心者の私であった。

まあ、そんな日常だからこそ、今私は最高に気分がいい、何とも言えない充実感である。ガハハ。


これより前の記事はコチラ