徒然五十音楽帳

ら・わ

悲しき鉄道員

1970年代、「ヴィーナス」のヒットで知られるショッキング・ブルーというグループの曲です。

「悲しき◯◯」というのは、歌の題名によくあるパターンのひとつですね。

1960年代の洋楽にも「悲しき願い」「悲しき街角」「悲しき雨音」といったヒット曲があります。日本の歌なら、美空ひばりさんのデビュー曲「悲しき口笛」。坂本九さんには「悲しき六十才」というヒット曲も。

この“悲しきスタイル”、明治の歌人・石川啄木の「悲しき玩具」がはじまりではないかと思います。後の詩人や作詞家に与えた影響を思うと、後の作詞家たちが啄木の言葉にあやかっても不思議はありません。

「悲しき玩具」は啄木の第2詩集のタイトルとなっていますが、そもそもそれは啄木のエッセイ『歌のいろいろ』の最後の一言「歌は私の悲しい玩具である」に由来します。(チコ)


君といつまでも

「二人を夕闇が〜」。幸せ一杯の新婚さんにピッタリな曲。「幸せだなぁ(中略)僕は死ぬまでで君を離さないぞ、いいだろう?」の台詞も有名ですね。言う方も聞かされる方も照れちゃうけど、喜びに溢れているって素晴らしい。

ところで、最近「幸せだなあ」と感じることありましたか?

私はありました。冷たい北風にさらされて、やっと家に着きドアを開けると、タイマーで部屋がポカポカしていた時。ご飯を炊こうとジャーのスイッチを入れると、次第にシューといいながら蒸気を出し始める、その様子を見た時。それからグッスリ眠れて、アラームなしで自然な目覚めを迎えた時。そんな目覚めは年に2、3回しか体験できないので、心の底から「幸せだなあ」と言えます。

日頃文句の多い私だけど、こうして並べてみると身の回りに結構あるものですね。もちろん、歌詞のように恋人と夕陽を眺めた思い出があるなんて方は幸せ者です。

皆さんにとって「幸せだなあ」に満ち溢れた一週間になりますように!(チャコ)


ククルクク・パロマ

1954年にメキシコで作られた歌です。ハリー・ベラフォンテの歌で世界的にポピュラーになりました。「パロマ」はスペイン語で「鳩」。「ククルクク」は鳩の鳴き声です。日本語でも鳩の鳴き声は「クウクウ」と表現されますね。「鳩」という字の「九」はその鳴き声の音だとも言われます。

鳩の鳴き声は「ぽっぽっぽ」だろ、という人もいるかもしれません。確かに「ぽっぽっぽ、ハトぽっぽ」という歌の印象は大きいです。それから、ロート製薬のCM、鳩サブレ、イトーヨーカドー、はとバス。鳩にまつわる身近なイメージは平和で穏やかで優しいものが多いですね。

「ククルクク・パロマ」は内容的には実に哀しい悲恋の歌なのですが、決して暗くはない。安心して浸っていられる、どこか優しい悲しみの歌なのです。(チコ)


結婚しようよ

「僕の髪ィが肩までのびて」で始まるこの曲、当時はなんとな〜く聴いていました。しかし今聴けば、ナルホドこの頃から男子の長髪もフツウになっていったのか…と時の流れをリアルに感じます。

歌詞の中の主人公は、ある日「結婚しよう」とひらめいてしまうのですね。それは決心というより「そうだ、京都へ行こう」ぐらいの思いつきのようにきこえます。しかし長い冬に人々が疲れ果て、日々の暮らしに息苦しさを感じている時、この曲はひとすじの光のようであり、希望の曲となります。

結婚は新しい人生の始まり。結婚でなくても、何か新しいことを始めてみようと思いつく時、人の心はフッと軽くなり、ワクワク感が訪れますよね。

春が来る頃、彼の髪は肩まで伸びていることでしょう。そしたら二人は結婚する。その頃は土の香りや新一年生を迎えた子供たちでいっぱい。本当に春はもうすぐそこまで来ているのですね。あともうひといき…ですね!!(チャコ)


ゴンドラの唄

「いのち短し恋せよおとめ」という出だしの名フレーズ。はかない若さと熱い恋心を、先をも知れず漂いながら進む舟路になぞらえた歌です。

「ゴンドラ」とは、水の都・ヴェネツィアの水路を行く手漕ぎボートのこと。この歌詞はヴェネツィアの民謡が下敷きになっているとか。

クラシック音楽で舟歌と呼ばれる形式があります。漂うような8分の6拍子のリズムと、軽快な中にもどこか憂いを含んだメロディーが特徴です。「ゴンドラの唄」はその形式を取り入れた、最初の“舟歌ポップス”と言えます。時は大正4年、今から100年前ですね。

作曲者の中山晋平氏は少し先進的過ぎたと思っていたようで、「拍子が少々わかりづらかったのではないか」「この曲は失敗だった」という発言もあるそうです。

けれど現在、誕生から100年を経てなお、多くの歌手がとりあげる人気曲。やはり中山晋平は日本の音楽に“ニューウェーブ”を起こした一人だと思います。(チコ)


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