椰子の実
昭和11年にNHK『国民歌謡』で発表された日本の抒情歌の傑作のひとつです。南の島から海岸に流れついた椰子の実に、故郷を離れてさまよう自分を重ねた詩はノスタルジーに満ち満ちています。
「南の島」「南の国」に対する漠然とした憧れのような思いを「南洋幻想」と言うそうです。寒い地域の人が持つ、温暖な南方への特別な感情です。
住んでいる町の駅をはさんで北側と南側で、まったく雰囲気が異なることがあります。大きな駅なら当然かもしれませんが、西荻窪のようなこじんまりとした町でも、南と北でまったく空気感が違うのだから面白いものです。
数年前、南口から北口に数100m引っ越すことになったときには、南口のお知り合いから「寒い地域に引っ越すんですね、お元気で」と言われました。
南口はどこかゆったりとした空気の流れ、のどかな肌触りなのに対し、北口はちょっとせわしない。冬場は北口だけに冷たい風が強く吹いていたりします。これは「南口幻想」だろうか。(チコ)
夢の中へ
今朝、お目覚めはいかがでしたか? グッスリ眠れた次の日は、やはり気持ち良いもの。いい夢見ましたか?
井上陽水さんの「夢の中へ」は、幅広い世代の方が耳にしていることでしょう。いつも探し物をしている、せわしない私には、どこか耳がいたい歌詞です。そしてさらに、落ち着きの無さ、集中力の無さ、常に「今これでいいんだっけ」と不安に感じるダメな部分にジワジワとしみこんでくるのです。
ちなみに、歌詞はうろおぼえという方、「探し物はなんですか? いつまでさがす気ですか?」と問われ、最終的には「探すのをやめた時、見つかることもよくある話」、だからもうそのへんで良しとして一緒に踊りましょう。さあ!夢の中へ、となります。
ガンバリ屋さんで疲れ果ててしまった人も、いったんあきらめちゃって休憩をとると、体力気力が復活してくるかもしれませんね。目の前のことにあくせくしすぎている時、ちょっと俯瞰して現実を眺め、グッスリ眠れればすてき!(チャコ)
宵待草
「待てど暮らせど来ぬ人を」ではじまる色っぽい曲。画家で詩人の竹久夢二が作詞、夢二の表紙画で楽譜も出版され、たちまち話題になり、一世を風靡したそうです。
私は「待つ」のは嫌いです。人でも電車でもスーパーのレジでも、待たされるとすぐにイラ立ってしまいます。けれどこの歌のように「好きな人を待つ」なら話は別。よくドラマにあるように、校門や駅で偶然を装って相手をじっと待ったなんて思い出はありませんか? 今か今かとよきめいたことでしょう。それが、恋でなくても、たとえば合格通知や出産のような、人生にとって重大な「待ち」のこともあったかもしれません。
待っている時間がいたたまれない、息苦しい。けれどときめいている、期待に胸ふくらんでいる。思い返してみると、私たちはいくつもの「待ち」を経験してきたのですね。これからだって、苦手な待ちもうれしい待ちも、きっとたくさんやってくるのでしょうね。(チャコ)