黄昏のビギン
昭和34年、水原弘さんのシングル曲「黒い落葉」のB面曲として発表されました。
後にちあきなおみさんがアルバムのオープニング曲としてとりあげ、その後多くの歌手がカバーする日本のスタンダードナンバーになりました。
「ビギン」とはカリブ海の小島、仏領マルティニーク発祥のダンスのこと。ラテンダンスとフランスの社交ダンスが組合わさった、ゆったりとしているけれど情熱的な踊りです。
ゆったりとした曲調、映像的でお洒落な歌詞は、まさしく、静かで情熱的な「ビギン」。
この曲、作曲は中村八大さん、作詞は永六輔さんと八大さんの共同、というクレジット。共作とはいえ永さんもずいぶんと洒落たロマンチックな歌詞を書くのだなあと思っていました。
が、なんと、つい2年程前の雑誌のインタビューで、実際は中村八大さんだけが作詞した曲であると、永さんご本人が語ったのです。50余年を経て明かされた事実。
そして中村八大さんご本人の大のお気に入りの曲だそうですよ。(チコ)
小さな日記
昭和43年、カレッジフォークグループの草分け的存在、フォーセインツが歌っていました。
「日記」。人に言えない本音を綴るもの。けれど、他人に読まれることもちょっぴり意識しているもの。
日記、書いていましたか? 私は中・高校時代、毎日書いていたんです。日記帳に愛称をつけて、「◯◯、あなたにだけは本当のこと言うね」といった調子で。深刻になったり、お茶目になったり。もちろん「ポエム」も書いてました。
ラジオの深夜放送にはまり、日記を書いて明け方眠る。朝、母親に叩き起こされ、遅刻ギリギリで学校へ。そんな毎日でしたが、もの想いにふける深夜のひとときは特別な時間でした。
今、毎日つけているのは日記帳ではなく家計簿。夜、レシートを見ながら買ったものをひとつひとつ書いていると一日をふり返ることができます。そして数字を眺め、深刻になったり少しホッとしたり。その日の自分が映し出されるのですね。だから家計簿は、文章のない私の「小さな日記」なのです。(チャコ)
月の沙漠
大正12年に発表された童謡です。詩人・加藤まさを氏による詩と挿画からなる作品で、雑誌『少女倶楽部』に掲載されました。
童謡「花嫁人形」(大正13年)も同じような形で、雑誌に詩画として発表され、後で曲がついて童謡として歌い継がれています。こちらは当時一世を風靡していた挿絵画家・蕗谷虹児氏の作品で、掲載誌は『令女界』です。
『少女画報』『令女界』『少女倶楽部』『少女の友』などなど、この時代の少女雑誌はなかなかの文化の発信基地だったのかもしれません。
『少女倶楽部』は長編小説中心で真面目なので保護者の支持も高い。『少女画報』『少女の友』は宝塚や外国映画スターを掲載、投書欄を通じて読者同士のコミュニティも生まれたそうです。『令女界』は恋愛もの小説が多く、禁止する学校もあったとか。
雑誌やラジオは、読者/リスナーの心の中に世界を作りますね。とりわけ多感な少年少女期には、そこが自分の大切な居場所になった。テレビが家族みんなの、世間みんなの共通の世界だとしたら、雑誌やラジオはもう少し個人的な、秘密めいた、大事な世界なのです。
あ、でもそんなのは、とっくに前時代的な話でしたね。(チコ)
テネシーワルツ
パティ・ペイジや江利チエミさんの唄で日本でも大ヒットしました。この曲はテネシー州の州歌になっているそうで(ちなみにジョージア州の州歌はジョージア・オン・マイ・マインドだそうです)、この先もしテネシー州に行くことがあったら、やはりご当地で聴いてみたいものです。
今や、観光用に演出されたものが溢れかえっている時代ではありますが、それでも、その土地の風景の中で、その土地の風に吹かれて聴いてみたいものです。その思い出を胸に数年後、日本で偶然テネシーワルツを耳にしたら、思い出はより鮮やかにいとおしくよみがえることでしょう。
「思い出なつかし あのテネシーワルツ うるわし テネシーワルツ」と歌う江利チエミさんの声、とてもとても素敵です。
東京行進曲
昭和4年、同名映画の主題歌として発表されました。モボ・モガの行き交う、戦前の華やかな銀座や新宿が歌われています。「東京」をタイトルにした歌はたくさんありますが、そのはしりと言える曲です。
昭和10年代には「東京ラプソディ」、戦後は「東京ブギウギ」「東京の花売娘」、30年代には「東京の人」「ウナ・セラ・ディ東京」、そして「東京砂漠」「TOKIO」。
夢、栄華、喧騒と孤独。東京はだいたい、そういうものの象徴として描かれます。あたたかな故郷に対する冷たい大都会・東京、というふうに。大都市というのはそういうものかもしれませんね。「ニューヨーク」は冷たい都会が適役で、故郷はたとえば「ケンタッキー」の方が似つかわしい。
僕は東京で生まれ育ちましたが、厳密には「西東京」。西東京は喧騒と孤独の街ではなく、田畑や山川、のどかな自然あふれる町でした。そこはニューヨークというよりはケンタッキーです。(チコ)